心の境界線、バウンダリーを保つ大切さと難しさ

こんにちは。Nurture&Matureの飯沼美絵です。

一気に寒さが身に染みてくる今日この頃。

私の周りでは交代ばんこに誰かしらが体調不良になっています。

昨日のミーティングでも、先日はあっちの人が体調不良で延期。

で、今日はこっちの人が体調不良で延期・・となるかと思いきや、横になりながら画面オフで参加してくれました。

体調不良って当番制になったのかしら?と。

私はまだお当番もらっていません。。。

これは冗談ですが、

私は本当に世の中の出来事に疎いと自覚しています。

関係性を繋ぐ仕事が好きのなのも、言うなれば、個人と個人の内面同士の領域に触れている時間が多いです。

ミディエーターという仲介の本業さんたちはもっと現実的な利害関係のことを扱っているんだと思いますけどね。

そんなこんなで最近、ここのブログに書こうかどうしようか、2回メモってしばらく書かなかったことがあります。

でも今回いよいよそんなことを思ったので書きます。

最近どこでも感じることが多くなったのが、

人に何か話す時に、相手は相手側の都合をちゃんと考えて、私と接してくれるだろうか?ということなのです。

え?こちら(発信している側)の都合ではなくて?って思いますよね。

 

んー、例えばですね、

なんでもいいのですが、対面でも、SNSでも友人や同僚と、最近読んだ本についての話になったとします。

私はわりとオタク気質なので、気になった本や映画やドラマなどは熱烈にその作品の良いところをアピールしがちです。

で、そうすると、たいていの人は「わぁ~なんだか面白そうですね!見て(読んで)みます!」という反応が返ってくることが多いです。

なんだ、これのどこが問題なんだ?って思いますかね。思いますよね。

逆の体験が先日あって、

友人と飲んでいる時に、その友人が熱を入れて学んでいる分野のことについて「私も××のセミナーに出たよ、○○のような体験だったよ、凄くよかったよ」と話しました。

そうしたら、その友人はもっとその分野から得られる体験について私に理解して欲しかったのだと思いますが、更に「××ってこういう凄い体験ができるんだよね!ぜひそれを体験して欲しい」ということを続けて語り始めました。

この間、2、3分だったのだと思いますが、私にはかなり長い時間に感じていました。

一度「もうこの話は止めよう」と伝えてはみたものの、彼女の熱量は収まらず。

どうやって場の雰囲気を壊さずに、この話を止めてもらえるのか・・・としばらく黙り込んでしまいました。

皆さんは、自分が相手から受け取るものについて、どのようにコントロールしているでしょうか?

仕事を断りきれなかったり、夫婦やパートナーとの関係性であってもつい相手のいいなりになってしまうとか、

他方で子供には自分でもちょっとTooMuchかなと思いつつ自分の理想を押しつけてしまったりとか。

調べてみるとこれは、「心のバウンダリー」に関すること、なのだそうです。バウンダリーとは他者と自分の境界線のこと。

私自身、相手がしている話に入って行こうとすると、必要以上に自分の境界を越えて自分のスペースをなくしがちなんだなぁって思ったことがありました。

つまり、自分が“今、相手の話を聞いていて居心地が悪いな”という感覚を脇に置きすぎて、相手の気に入る態度を全力で取ってしまいがち・・・。

こんなことに気がついて、先日の友人とのシーンを迎えたのです。

ですので、いつもならば、笑いながら相手の話に合わせたと思います。今思えば、これは、「聞いているふう」を演じていたんだろうな、と。

でもですね、あのとき「私は今、この話を欲していないんだ」、とその時に話が進行している中で気がつけたことはすごい進歩だと、思いもしたんです。

本当は、勇気をもって、何かもっと気の利いたことが言えたらよかったのですけどね。

で、もっともっと希望と理想を込めて言うと、

日ごろから身近な関係性が、お互いに相手の関わりを信じることができれば、話す側が必要以上に気を遣いながら、あるいは、いらない風なのにバウンダリーを越えて押し込んでしまう、なんてことがなくなっていくんだろうな、って思います。

何かを良いとか、これをして欲しいと言うと、相手が断れるか不安になってしまう、私はこんなことが続いています。

“相手が自分のバウンダリーを越えた”と思った側が、ちゃんと、「いらないです、できません、あなたに返します」って言える。

発信する側がバウンダリーを越えないように気をつける、ということも大事だと思います、

ただ、多くの場合は、自分は“よかれ”と思って相手に関わっている、ということも多いので難しいだろうな、とも思います。

もちろん、ジャニーズの事件や仕事をつい部下に振ってしまう上司などは、「あなたのため」と言いながらも、自分の欲求を満たすためとわかっていてバウンダリーを越えてしまうということもあると思います。

自分で書きながら、このテーマは思った以上に深いことがわかってきました。

人間関係って、どんな間柄でも、「それはいりません」と相手に言うのはいわゆる“拒否”と受け止められがちだなぁっていうこと。

関係性にこのフレーミングが直ちに沸き起こると、自分は「傷つけちゃった、嫌われないかな!!」相手は「うぉ、拒否られた!痛い!」という構造が強化されてしまう。

そうするとその関係性が痩せていってしまう。

だから、とりあえず、そこには波風立てず、受け止めている風にしたり。

あるいは、人って誰か自分より強い人に、自分のことを所有してもらうのって心地が良い、ということも学んでいるんだと思うんですね。

これはよく心理学の世界では、親子関係に例えられたり、その人の過去の親との関係についても言及されます。

子供の頃の親子関係が健全な範囲で、少しずつ自分の力で、親と物理的にも、心理的にもちゃんと切り離すことが出来た人は、大人になっても健全な関係性を自分で作れることが多いですが、そうじゃない人は自分にとって必要なバウンダリーを作り出すのが難しい、と言われています。

だから、必要以上に境界をなくして強い人の所有物になるべく自分の心を相手に預けてしまったり、

相手に棄てられる恐怖への記憶が、先回りして今の感覚に再現させてしまったり。

本当は一瞬一瞬違うのかもしれないし、自分の不健全なパターンを自分で繰り返してしまっているのかもしれないし。

 

ちょっと前に、「ワンネス」って言葉が流行りました。

世界は1つ(まさに航空会社の提携名でありますね)とか、企業名でも「ワン・○○」とか合併後の会社をそう呼んだりとか。

この言葉はある意味、願いがありながらも、自分達のルーツを忘れさせて、従わせる、というようなちょっと乱暴なメッセージを前面に持ってくるようなことにもなりかねないなぁと、ふと思いました。

今、外側でも、自分の内側でも、起こっている戦争。

少なくとも私は結構頻繁に、ワンネスへの憧れを持ちつつ、自分のルーツや他の部分と“違うことへの尊厳”への期待が交互に葛藤します。

もうすぐクリスマス。これはキリストのお祭りですが、うちの父は頑なに一貫して「日本は仏教なんだから!関係ない!」と言います。笑。

一方で軽々と文化の壁を越えて、クリスマスもハロウィンも楽しむ人達もいます。

このブログをお読みになった方々は、今年のクリスマスは、何を思うでしょうか?

今日も、お読み頂きありがとうございました。

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