鬼滅の刃:半天狗のパワーと 一緒に生きる日が来る

こんにちは。Nurture&Matureの飯沼美絵です。

あー、やっぱり月に1回になってしまっているこのブログ。

しかし、飽きっぽい私がよく続いている・・・素晴らしい!と思うことにします。

今年の夏はいろいろイベントが復活していて、文字通り“アツい”夏ですね。

一方で、押さえ込まれていたものが一度に外に出て行くようなパワーが強く、そのパワーに“あたる”ような現象を起こしているシーンも見られたりします。

コロナで家に引きこもることが普通だった状況が恋しい・・こんな人もいるのではないでしょうか。

今回はそんな“パワー”にちなんだ話です。

ストレングスコーチである私は、やはり、パワーとかストレングス(強さ)というものに敏感になるのですね。

放送終了から、もう、少し時間が経ってしまいましたが、『鬼滅の刃:刀鍛冶の里編』に登場する鬼の、『半天狗』について書こうと思います。

漫画を読んだときからずっと、興味深い鬼だな~と思っていました。

この鬼は、5体の身体(喜怒哀楽+怯)を持つ、1つの鬼です。

そしてこの“怯”という名前の鬼がねずみくらいの極小サイズなのです。

ようやくこのねずみサイズの鬼を追い詰めて、斬ろうとした炭次郎。

ところがなかなか斬れません。

「さきほどきさまらは、手のひらに乗るような小さく弱き者を斬ろうとした。なんという極悪非道」

こんな言葉で鬼は反撃をします。

視聴者から見ると、どう考えても鬼が「小さく弱き者」とは思えません。

しかし、鬼自身は自らを「小さく弱き者」と考えているようです。

実際、半天狗の本体は突然巨大化して、「弱い者いじめをするなぁっ!」と炭治郎を握りつぶそうとしました。

そんな「上弦の鬼」が「弱き者」なわけないじゃないかと、半天狗の身勝手さがより際立ち、観ていた方は炭次郎を「がんばれ!」とより感情移入したのではないでしょうか。

その後、“怯”を追い詰めるほどに他の喜怒哀楽も追い詰められ、4体は“憎”という1つの身体になります。

    感情が変化して身体の形を作る。

 喜怒哀楽という健やかだった感情が、憎しみに変化する。

 しかしその『本体』は怯える人。

人間の本質を見事に捉えていると思います。

『半天狗』と一緒にしないでくれよ?!

まあ、そうですよね、嫌ですよね。

でも心のメカニズムは人間が誰かを攻撃する時に正当化する動きと良く似ていると思うのです。

   本当は、ただわかってほしかったのに。

 本当は、もっと優しくしてほしかったのに。

 本当は、もっとありのままを見て欲しかったのに。

子供のときのみならず、大人になってからもこういった、今でも忘れられない深く傷ついた体験はあるでしょうか?

自分を十分に守れなかった、もしくは守ってくれるはずの人が守ってくれなかった、正しい裁きが下らなかった。

そんな記憶が時間が経って、何か自分に脅威と感じる出来事が迫っている時に、今回こそは『守らなければ!』と過剰に防衛して、周囲を傷つけてしまう、ということがあるのです。

そして人“への攻撃で自分を守れた”、という経験は、更にその行動を強化していきます。

この『半天狗』という鬼の現象は、多くの今の社会現象に通づるのかもしれないなと思うのです。

 

SNSで「それはおかしい!」と思うことに声をあげてみる。

コールセンターで「そんな接客はおかしいでしょ、こうしてよ」と言ってみる。

会社の会議でおかしな発言をする同僚や部下に「は?ありえないでしょ?」って言う。

 

こういうことは日常的にあると思います。普通なこと。

でもしかし、です。

もしみんながこの、普通の意識で過ごしていても、相手が自分の知らないところで、想定外にもの凄く傷ついたりダメージを受けていたとしたらどうでしょう?

不倫は非難されるべきだよね、

一度結婚して夫になったのならその役割を全うすべきなんじゃないの?

接客は気分良くさせてくれないとダメだよね、

仕事は○○であるべきだよね、

どうでしょう、ここまで読んでいただいて、もし少しでもご自身にひっかかるところがありそうなら、ご自身にこう、呟いていませんか?

“私は(オレは)そこまで強く言ってないし”

こんな風に感じる時、もしかすると、あなた自身が『半天狗』になっているかもしれないのです。

自分のパワーが相手にどれほど影響するかを正しくみつもれず、あるいはパワーをふるった後の相手の反応が見えておらず、自分の防衛だけに終始してしまっていませんか?

 

会社に入って新卒2年目の時、1年目の新入社員へ、上位役職者から受ける厳しい指導の場に同席していました。

その場が終わって早々に役職者は帰ってしまい、私は1人で残っていました。新入社員は10名近くいたと思います。

私が1人になるやいなや、新入社員に詰め寄られました。

「先輩、この研修は何のために必要なのでしょう?」

あの時の新入社員たちのパワーはいまでも忘れられません。

彼らは私が答えに詰まるほど追い詰めているとは思わなかったことでしょう!

こんなふうに、仮にですよ、自分の力がミジンコくらいだと思っていても、実際はもの凄いパワーを発揮している事ってあると思うのです。

もうブログで何度も書いている気がしますが、

自分の力とどうつきあっていくか、というのは全人類に共通の課題です。

身体的な暴力や、上の例のような精神的なパワー、あるいは自分が選択し続けている文明的な生活も他の生き物にとっては生命を脅かすパワーです。

パワーがない人なんていないんです。これだけは知ってください!

ストレングスファインダーやプロセスワークは、自分が認知しようと、否認しようと、身についている才能が、どのように自分の外側で影響をふるっているか知り、人の幸せのために使う方法を学ぶことです。

学べば必ず、自分のパワーにも、他人のパワーにも、両方共に怯えない日々はやってきます。

いやちょっと誇張かな。ある日戦争が起こって銃を突きつけられたら、怯えない人はいないでしょう。

ただ、そういう日が万が一に来たとしても、相手のパワーをどう使ってほしいかリクエストしたり、自分のパワーをどう使って欲しいか聞いたり、その上で自分のパワーをどう使うかを選択できるようになれると信じたいでたいです。

Nurture&Matureの目指すものはそういう世界です。

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