話題の映画“福田村事件”、語り継がれないことへのモヤモヤ

こんにちは。Nurture&Matureの飯沼美絵です。

今年の夏は“ワラーチ”なるサンダルを作ってもらいまして、それがだいぶお気に入りで、できるだけ履いています。

11月はいい加減寒いだろうし、足だけちぐはぐになってしまいそうだから、履けないなーと思っていましたが、履けています。

昨日などは長袖シャツ1枚でしたしね。

いいのか悪いのか・・・。

もちろん悪いこともいっぱいあるけれど、できるだけこういった小さな幸せも感じておかないと、どんどんネガティブになるような気がしています。

だからちょっとした快感を言葉にするのは大事なことだと思う!

さて、今日は映画福田村事件のことです。

https://www.fukudamura1923.jp/

私のマニアックな友達たちが何やら口にする人が多かったので観てきました。

あんまり観て幸せになる方向の映画ではありません。

ただ、きっとこれを作った森監督も同じ感覚なのではと思いますが、人の記憶から忘れられているけれど、確実に今の私たちに影響を及ぼしていると思うことを、ちゃんと事実として捉えることは大事、なのだと思うのです。

 

 

私はここのブログで結構シビアな情報を持ってきますが、いたずらに不安を煽りたいのではなくて、大多数の職場や家族やお友達同士で普段なかなか語れないことをここで言葉にするのは、ある意味で、安心を作りたいから、です。

プロセスワークでは“ゴースト”と言って、無視されているんだけど、その人やその場に影響を与えている物事や人のことをとても大事に扱います。

とーっても平易な例えで言いますね。

寝不足で眠かったり、腹痛や頭痛を感じていても、目先のことをどうしてもやる必要があって、できるだけ感じないように頑張っているとします。

しかしどうでしょう?

痛みはもしかすると一旦治まる可能性はあるかもしれませんが、後でもっと頻繁に来るようになったり、激痛になっていったり、寝てはまずい会議で寝てしまったり。

いずれにせよ身体の都合への優先順位を下げ続ければ、一定期間はなんとかなっても、長期的には何らかもっと深刻な病気になるというのはあり得ることです。

これは夫婦関係や親子関係、大事な友人関係に置き換えてみるとわかりやすいのですが、「ごめんね、また今度必ずね!」と言いながらずーっとこれを繰り返すとしたら、何が起こるでしょうか?

不倫、不登校、何かしらの慢性的だったり重篤な病気にかかったり、友人ならば何かしらの嫌がらせをされたり、、、などが起こるかもしれません。

福田村事件の映画の話に戻ると、とても悲惨な話ではあるのですが、症状としてもっと大きなことになる前に、きちんと正面からその人やその物事と付き合う、ということが私は大事だと思っているのです。

さてもう観た方もいるかもしれません。

この映画は、今から100年前の関東大震災直後に、今の千葉県野田市にあった福田村というところで起こった、差別から発した集団虐殺事件のことを取り扱っています。

関東大震災直後の村で、朝鮮人があちこちの地域で様々な悪さをしているという流言飛語が飛び交い、その中でたまに冷静な人が「それは誰から聞いたのか?あなたが実際みたのか?」ということも語られるのですが、「いやー、、、」という曖昧な弱々しい言葉が力強い言葉に飲み込まれていってしまいます。

どんどん不安で恐ろしげな情報が、確かなものとして出回っていきます。

村にはついに「朝鮮人が集団で襲ってくる」というデマに浮き足立ち、自警団まで出来上がります。

そこに通りがかった、香川県の薬売りの行商団15人。

福田村では聞き慣れない言葉を話す人々。

「朝鮮人ではないか?」という疑惑と恐怖が、人々の間でいっきに膨れ上がります。

ついに、何十人もの軍人、警察、村人たちが、手に手に鍬やら斧やら竹槍やらを持って、集団を取り囲みます。

映画全体は2時間強くらいある中で、最初はとても緩やかで若干退屈してくるくらいの感覚でした。

村の人達の、些細だけど当人にとっては一大事な出来事が描かれ、個人が何かしらバカにされたり、秘密を持っていたりという非常に繊細な関係性の中で第一次世界大戦終了直後の人々の憔悴が見事に描かれていたと思います。

またこの映画では「千葉日々新聞」というメディアの存在も重要な役割を果たします。

何かしら事件が起こる度に、この新聞社はこのような結び方をしなければいけない、という暗黙のルールがあったようです。

「いずれは社会主義者か()鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か・・」

この結び方は、“社会主義者か朝鮮人か不定の輩が世の問題を引き起こしているのだろう”というメッセージを世の中に強く刷り込んでいきます。

村では、戦時中も村に残った人々と、戦争から帰ってきた男達が再合流してもう一度村のコミュニティが作られている過程なのですが、その中では自分が「不定の輩」というレッテルがつかないように細心の注意を払って生活している様子が描かれています。

不倫、義理の父娘の秘密の関係、戦争での嘘の武功、身内が朝鮮と縁があること、などなど。

こうして、自分に関する情報を操作しながら、どうにか生き延びるために目先の仕事に専念しながら日々を過ごしていく。

こんな姿を映し出した前半でした。

震災後、まっさきに社会主義者が警察に連行され、殺されてしまいます。

史実ではこの映画の後も、たくさんの社会主義者や朝鮮人、中国人の方々が殺されたようです。

私の好きな伊藤野枝さんも社会主義者として殺されてしまいます。

さて、こんな中で、自分達が細心の注意を払いながら生きているコミュニティの中で、異質の集団を見つけた。

ここの辺りから、実際に映画の中でドンドンドンドンと和太鼓が使われて一定のリズムで強くなっていきます。

どんどんどんどん、

人々の疑惑と恐怖と興奮が高まっていき・・・。

ついには15人中、幼児や妊婦を含む9人が殺されてしまいます。

9人が殺された後で彼らは日本人と証明されるのですが、香川の部落地域の出身者で「エタ」ゆえ、行商をするかしか生きるすべがなく、各地を渡り歩いていたのでした。

ユダヤの方々が今現在、安住の地を求めて戦っておられるのも、人間のこのように繰り返される排除の仕組みゆえでしょうか。

私自身、千葉県の比較的野田市に近い場所の出身です。

この映画の中では、かなり忠実にこの地方の方言を使っていると思うのですが、私の子供の頃によく親戚達から聞いた言葉遣いでした。

それゆえに何か加害者側に近い立ち位置での、若干ゾワッとする感覚でみていました。

なんで、近い場所に生まれ育ちながらこの事実に一度も出会わなかったのだろう?

何の片鱗もわからなかった・・・。このことに腹立ちと、不気味さと、不思議さを感じました。

どうして?祖父母達は知らなかったわけはないと思います。

福田村事件のことは知らなくても、戦後、震災後で当時そこかしこで朝鮮人や部落居住者への差別はあったと思うのです。

以前プロセスワークの学びで、ルワンダの動画を観ました。

ルワンダは20世紀最後に悲惨なジェノサイドがあった国ですが、当時を経験した大人達に、若者達が、何があったのか教えて欲しいと懇願する動画でした。

当時はそこまで心を動かされませんでしたが、この映画を見終わった後では、その気持ちがよくわかります。

そして、大人である私が今現在、忘れ去ろうとしていることはないだろうか。

そういうことにも思いを巡らせました。

ちゃんと、語り継がなくてはなりません。語り継ごうと努力しないとなりません。

これは地域だけではなくて、会社組織にも言えることだと思います。

この映画の最後にも、千葉日々新聞の若い女性記者が事件現場に来て、村長の制止を否定して、「事実を書きます」と力強く言います。

当事者が辛すぎて思い出せなかったり、事実が歪曲されてしまうこともあるでしょう。

第三者の力も借りる必要があるかもしれません。1つの視点だけではなく、多くの視点が必要になるのでしょう。

この映画では、行商団の生き残りの、一番若い男の子にフォーカスが当たって終わります。

観ている側は、「なんでなんで・・・」と号泣して大人達をまっすぐに見るあの子の将来はどうなっていくんだろう、と不安と少しの期待を感じながらラストを見守ります。

最後は、郷に置いてきた恋仲の女の子が出迎えてくれて、幕が閉じます。

今、もう十分大人である私は、若い人達に全ての期待をのせてはいけないなぁと思いつつ、

まだまだ知らないことがある状況においては、若い人達と同じ気持ちでいます。

一緒に、大人も子供も、知る必要があることをみていきましょう。

犯人捜しをするためではなく、同じ不幸を繰り返さないために、個人や集団でできることをそれぞれの個性を使って生きていきましょう。

“人の世に熱あれ、人間に光りあれ。” 

※1922年3月3日 水平社宣言の最後の一文より

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