こんにちは。Nurture&Matureの飯沼美絵です。
今日は秋らしい、秋晴れの穏やかな月曜日です。
先日、大量の栗を釜でゆでて、中をくりぬき、栗きんとんを大量に作る、というのを友人宅でやってきました。
しみじみ、釜に木をくべるのを見ながら、釜がぐらぐらするのを体温で感じ、音で感じ、煙の匂いで感じ、煮立つのを待ちながら人と同じ場を共有する時間は日本の文化でどんどんなくなっている時間だなーって思います。
私は千葉県佐倉市出身の田舎町で。
季節毎のおはぎづくりや年末には餅つきで必ずこういう時間があったんですよね。
人から責められないこと(個人的にも、組織的にも)を極端に気にする現代で、いろんなあそびの時間やほっとできる時間が極端に減ったなぁとしみじみ感じました。
さて、話は変わり今日は、日本のエンゲージメントの調査結果と、改めてストレングスファインダーがもっと果たせると思う役割を書いてみたいと思います。
2023年度、Gallup社が出した国毎のエンゲージメント調査結果に関する記事は以下の通りです。
「日本企業で従業員エンゲージメントの強い社員の割合はわずか5%、「世界最低」: 米ギャラップ社調べ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/87fce45ff2b258c9b1828b98e60b35a360f29212
数年前に、日本人で仕事に強くエンゲージメントしている割合は6%ということで騒がれていましたが、このたび更に1%落ち込み、5%になったとのこと。そしてそれは124位と調査国125国中下から2番目。
で、このデータ結果から「もっとこうしましょう」「こうしがほうがいいんじゃない」っていう見解がいろいろ出ているんだけど、Gallupは一貫して「上司が魅力ある職場を作りましょう、コーチとして機能しましょう」という話。
ダイヤモンドオンラインは「経営トップが頑張れ」というメッセージ。
まあ、それぞれのサイトの都合上、どこにお金を落として欲しいかで書き方が変わるのかしら、という印象ですが。
ただ私は毎回Gallupに思うことがあります。
彼らの調査結果は、
”当レポートにおけるギャラップのデータは雇用主に数時間でも雇用されている15歳以上の対象者からの回答を反映しています。”
とのこと。ということは、彼らが奮起させたい上司もこの調査対象の中にいるのですよね?
そのことを、Gallup側はどうみているのだろうか?
レポートの中ではこのことに触れられず、上司に対して「エンゲージメントの低い従業員はあなたのよいマネジメントを求めている」というメッセージを打ち出しています。
上司も従業員であることの権利はあると思う。
彼らもまた、従業員の一人として、十分に日本企業の息苦しさを生き抜いている人達なのだから。
上司頑張れ、上司が、上司が、って言われるほど、グチやネガティブさや攻撃性を、面と向かって出しづらくなっている、ということは無いのだろうか?
だから、匿名で調査してくれる、Gallupという拡散力の高い媒体に載せて、悲鳴が届いている。
そういうことではないんだろうか・・・?
もちろん、この調査対象が上司やマネージャーばっかりということはないだろうけど、上司がイキイキしていれば部下も非正規の人達も、もっとポジティブな回答をするのではないかなーと思ったりする。
話をここからストレングスファインダーに持っていきます。
ストレングスファインダーはいわずもがな、Gallup社が出している才能を磨いていくためのツールです。
有資格者達、ストレングスに通じている人達は、エンゲージメントが下がっている現状を、どうみているでしょうか?
私自身は正直、正社員を辞め、契約社員である身でもしこれを訊かれたら同じ答えをすると思う。
それでなぜ会社員に支援をしているのか?それは会社や社会という大きなものへの期待ができなくても、同僚や上司とはうまくやりようがあると思うからです。
だが残念なことに、パレスチナとイスラエルの紛争が、もともと他の白人達がつけた火種のように、
会社の中の構造も、会社や経営層が実行すべきアカウンタビリティーを、上司部下の対立構造にすり替えられているようなこともよくあります。
だから、そういう大きな力に巻き込まれずに、相手へのネガティブな反応を協働に変えていくことはできるはず!と思っているのです。
世界や会社内の分断は、「相手のせいで」、が際限なく増幅された時に、暴力性を伴った行為が放出された結果である、と思うのです。
ストレングスの有資格者が入ってセミナーを実施して、よくなるどころか分断が進んだ、対話がもっとギクシャクした、という話もよくききます。
ストレングスファインダーそのものが持つ暴力性の側面は、「人間の特性に関する特別な情報」を持っている側か、持っていない側か、に分けてしまう点です。
どちらかが「相手のせいで」と何かしらのネガティブさを抱えている場合、
情報を持っている側は、「あいつは●●資質で××なんだよな~」と思って、その思いから出る行動(一方的な指示や逆に対話しないなど)に出たり、
情報を持っていない側は、ストレングスの話にわざと乗っからないようにするなど抵抗が起きたり、逆に今回の調査結果のように、“いいなり”になることで身を守るかもしれない。後者は静かな分断だと言えます。
そもそもストレングスコーチというだけで、私たちが世界に与えるインパクトは、こういった危険があるということを十分に、今まで以上に、わかっておく必要があると思うのです。
私の目からみて、全体的にどんどん「相手のせいで」が強くなり、自分のポジティブな力を信じられないムードが加速していると思うこの昨今、それでも出来ることはあります。
1つ目は、経済性と人間性を分けて考えること。
世の中のお役に立つ(=売れるものを創造し売る)会社の一員として、どのように貢献するか、ということと、
一人の人間が引き起こす日々のドラマは、両方とも大事にされていなければならない。混同されてもいけない。
人間性の文脈の上では、“強みづかい”の反対の“弱みづかい”は本来存在しないのだと思う。
経済の都合が優先されるから、“弱みづかい”なる言葉が出てきて価値を伴ってしまう、極論を言えばこれもレッテルかもしれない。
人間性の上ではただの、その人がニーズを満たすための“行為”の1つでしかないことのほうが多いんじゃないでしょうか。
特に、効率が関わるときに、その人の人間性、個性からにじみ出る行動が“弱みづかい”とされてしまうことが多い。
(ほっとけ!と言いたくなる 笑)
2つ目は、私やストレングスコーチ自身の、あるいは企業で資格はないけど導入する強い立場にいる人が、
自分の下位資質に対して「私は、ほぼ知らないのだ」と、情報を持っている側のロールを手放せるかどうか、だと思う。
無責任になれ、ということではなく、下位資質という自分が主役ではない領域に対して、それらが上位にある人に“情報を持っている側“という役割を明け渡せるかどうか、ということです。
プロセスワークでは状況に応じて、周囲の人より心理的余裕がある立場のことを「ランクが高い」といいます。
講師やコーチや上司は、ランクが高くなりがちですが、高いからいい、というものでもありません。
ランクの高さは往々にして、ランクが低いと感じている人達を萎縮させ、「相手のせい」という気持ちを助長させてしまいます。
つまりその人の人間として健やかに生きるスペースをどんどん奪いかねない。
わかりあう対話ができないのはこちらが相手のタイプを知らないからではなく、相手に自分のことを、自分の言葉で語ってもらう余地がないからです。
ストレングスの間違った過剰使用は、こうしたランク高低への感覚の固定化を生み、有資格者や一部の学んだ者だけがその人の正しい側面を知っていると錯覚し、対話が痩せていく、という場を作りかねないのです。
改めて、ストレングスファインダーはもっと人間の可能性に貢献できると思っています。
私自身がこれから、自分の下位資質を説明する際の丁寧さ、自分の上位資質と同じように愛することは出来ないけれど、同じように愛することが出来ないことへの自分へのコンパッションを伴いながら、様々なランクを引き受け続けることが出来るかどうか。
私自身が自分へのチャレンジを続けると共に、一緒に共感して何かしら、実践してくださる方がいてくれたらいいなと思いつつ、ここで筆を止めます。
本日も長い文章お読み頂き、ありがとうございました♡
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