こんにちは。Nurture&Matureの飯沼美絵です。
今年は暑くなるペースが早いなぁと感じています。電気代が気になりますねぇ。涙。
というわけで、日中はできるだけ喫茶店か、人の家にいよーっと。(笑)
さて、今日はMBTIについて書いてみようかと思います。
2022年上半期 JC・JK流行語大賞(モノ部門)の4位だったそうで。
もともとは心理学者で有名なユングさんが考えた人間のタイプ論から発展した性格検査。
わりと、企業の人事やカウンセリングを生業にする人にはメジャーなものでした。
それがなんと女子高生に人気とな。
どうやら韓国アイドルさんたちが、自己紹介をするのにこのMBTIのタイプを使って紹介されたようで、
そんなところから日本でも若い人に広まったようです。
MBTIとはつまり、人間を16タイプのいずれかに当てはめて、自分や他者の深い理解を促進するものです。
犬は犬でも、マルチーズとかチワワとか秋田犬とか、いろいろありますよね。
天才ユング君(正確にはユング君とその後に出てくるあるアメリカ人母娘)は、人間にもそうした違いがあると、しかもそれにはちゃんとしたルールがあるんだと、その法則を見出しました。
詳しく知りたい人は、“日本MBTI協会”という公式サイトを見てみてくださいね。
ま、とはいえ女子高生にこれだけ広まったのは、手軽に診断できるサイトがあるからで、より手軽に知りたい人はやってみてもいいかも。
“本当の自分とは何だろう?“というのは、誰でも一度は考えたことがあるのではないでしょうか?
唐突ですが、映画『千と千尋の神隠し』に登場する、カオナシというキャラクターをご存知でしょうか。
彼(?)はずっとお面をつけていて、言葉もあまり話しません。
映画の最初の方では、「あっ・・あっ・・」 とだけ言っています。
ところが後半、だんだん身体が大きくなり、いろんな人にチヤホヤされると、カエルの声と言葉らしいもので
「千を出せ!」と言ったりします。
なぜこんな話をしたかというと、案外私たちは、多かれ少なかれ“カオナシ”なのかもしれないなと。
自分の素顔を隠して、人のことを真似て、何とか生きようとする。
相手からの反応次第で大きくなるし、小さくもなる。
人間というのは、こういうかわいらしい性質があるんじゃないかと思います。
本当の自分の姿、本当の自分の声、言葉、それらを認識して生きている人ってどれくらい、いるのかしら。
怖いですよね、本当の自分を知るって。
若いうちならまだしも、40代50代で自分を知るって、もしもこれまでの自分を否定されるような結果が出たらどうしよう・・・と。
社会に歓迎されないような性質がバレたらどうしよう・・・と。
MBTIに向き合うとき、自分の“カオナシ”性とも向き合うことになるのではないかと思います。
私がMBTIに初めて出会ったのは2016年のこと。
それ以来、このMBTIがけっこう好きで、認定ユーザー(資格を受けた講師)さんを連れてきては、会社や仲間内でワークショップをやってもらってきました。
公式のMBTIの素晴らしいと思うところは、出たレポートに従うのではなくて、その結果を参考に、自分のしっくりするタイプをワークによってみつけていくというステップがあるところです。
私の当初のタイプはINFPというものでした。
MBTIは大きく4つのカテゴリにおいて、自分がどちらかのタイプか?というのを探って行きます。
それが、この4つのアルファベット文字です。
最初の“IN”は難なく“これが私だ!”と思えました。
ところがこの最後の2文字を確定するのに、6年をかけました。(というか、かかってしまいました)
あ、あの心配しないでくださいね、大半の方は1回か数回で決めておられます。(汗!)
どうして私が6年間ずっと“仮決定”でいたかというとですね。
3文字目の“F”というのは物事を判断するときに、気持ちや感情を大事にするタイプ、とのことなのですが。
あるときのワークで、Fタイプのグループの皆さんとわいわい話していたところ、その時の講師が
「飯沼さん、ちょっと、Tタイプのグループに行って話してみてください」と言われたのです。
で、行ってみたのですが、どうも、彼らの話が「冷たいなぁ~・・・・」と感じてそれ以上仲間に入れない感じがしたのですね。
なんであの時、講師の人は私に「Tのグループに行け」って言ったのかしら??
ずっとこのことがひっかかっていました。
しかしこのときのことをきっかけに、“Tタイプである可能性”も多少考えながら、生活してみようと思えました。
で、思い当たったことがあったのです。
何って、自分がFタイプで頑張って生きようとしていた、記憶。
子供の頃の私の家族、親族の主流派の価値観は“F”だったのだと思います。
子供の頃から何度も、「おまえは冷たい」と言われ続け、親はきっとそんな私を心配して、人に配慮したり思いやったりすることをあえて見せたり、やらせたりしてきたように思います。
特に日本は女の子を、“女性らしいタイプ”=Fタイプ寄りにしようと育てる傾向があるのかもしれません。
「そうだ、ずっと私は人の気持ちや立場を最優先に考えて生きることを教えられてきたんだった」
過去のことを思い出し、自分が改めて、反対のタイプであるT(客観性や公平性を大事にする)が本来の素顔であると確信した私。
最初はいろいろな想いに駆られました。
私の40年はなんだったのか。チーン・・・。
親を恨んだ時期もありましたが、
しかし考えてみたら、本来のTじゃない方を敢えて鍛えてくれたのは、つまり二刀流ってことよね?と。(ポジティブだな~!笑!!)
最後の文字の1つも同じような悩みをずっとしていまして、
“融通の利かないヤツ”と思われるのが嫌で、本来のタイプである“J”をずっと認められずにいました。
(Jの反対は“P”でその場その場で臨機応変に動けることを、新卒で入った会社ではよしとされていました)
カオナシ君は、手から金を出す才能を見せたために、人々に「もっともっと」とその行動を要求されました。
しかしその後、彼はそれをしなくなります。
人から要求されて、要求に応えることで相手や周囲との心地良い関係性を結ぶことができれば、それはそれで幸せとも言えます。
だけどもし、そうすることで何かが壊れているように感じたり、しんどさを感じるようであれば、それが本来の自分の才能やタイプなのかどうか、
ちょっと見直してみるのも、ありかもしれません。
ちなみに、40歳も過ぎて、新しい自分に出会ったらさぞかし辛いだろうと思っていたのですが、実際は全くそんなことはありませんでしたよ。
確かに、私のタイプ“INTJ”は人気者ではありませんが、INTJとして生きようとすると、自然とそういった自分に合う友人や仕事のパートナーが現れて、今ではとても周囲の人に理解され、大事にしてもらっていると思います。
次回はMBTIと関係性について書こうかな。
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