殴り合いと話し合い ボクシングと対話と関係性

私はボクシングを習っています。 もともとはボクシングエクササイズという、ボクシングの真似をしながら音楽に乗せて身体を動かすというものに参加していましたが、コロナの影響でその場がなくなってしまい、その時の先生に誘われて、ボクシングをやるようになりました。
 とはいえ、本物の殴り合いでは無く、寸止めです。なのでどちらかというとパワーよりも早さやテクニックを競うという感じです。
 習い始めて1年。ようやく相手にポイントが入るようになってきました!今までは他の生徒さん達が気を遣って、私には一切攻撃をせずガードだけで、私は打ちたい放題だったのですが、さすがにそれだけでは対応できなくなったとのことで、ここ最近は相手も私に打ち込んでくるようになりました。
 ずっと相手がガードしているとポイントは入りません。だから、相手が打ってくれる方がゲームとしてはずっと楽しいのです。
小さい頃からスポーツはいくつか経験していますが、スポーツとは不思議なもので、あるとき急にできなかったことが出来るようになったり、見えなかったものが見えるようになったりします。
自分に向かってくるボールがとてもスローモーションに見えたり、深く考えずに身体が動いたり。結果それがポイントに結びついたりします。本当に不思議。
今回の私のボクシング体験もまさにそうで、あるとき急に相手のガードが空く瞬間が見えるようになりました。考えて動いているわけでは無く、相手のガードの手が動いたから、とっさに私が打ち込む。いや、気づいたら打ち込んでいた、という感覚です。スポーツをやっている方は身に覚えがあるのではないでしょうか。
こうなってくると相手も楽しいようで、全くの初心者ランクだった私が練習相手になるのですから、私のパンチがふと相手の頬をかすめるようなことがあると、驚きの表情と共に“ニヤッ”としてくれます。
お互いに「楽しいな~!!」と思える瞬間です。
それで、その帰り道にふと思いました。二者間の対話でもこんな風な“ニヤッ”と楽しめるくらいの対話ができたらいいのに、と。
なんでそれができないのだろうか??と。

私なりに考えた理由として、ズバリ、「傷の癒やし方がわからないから」ではないかと思います。
身体の傷ももちろん怖いですが、身体はよほどのことでなければいつか必ず治ります。しかし心の傷は、確実な治し方がわかりません。

 傷ついたことがない人なんていないでしょう。自分の傷つきから辛い思いをした経験があれば、自分が相手を傷つけることも、できるだけ避けるようになるのでしょう。
 その結果、本当は言いたいことや相手に要求したいことがあっても、できるだけ対立しないように、我慢したり、感じないようにしたり、それとなく気づいてもらえるようなことをしてみたり・・・する方が多いのではないでしょうか。なんだか文字にすると健気でかわいらしい感じもします。
 
 話は急に変わりますが、昨日夢を見ました。
私は会議のファシリテーションをしています。どうやら今支援している会社さんの中のグループのようです。
私との1対1のセッションでお話されていたある方(Aさんとします)がその会議に参加され、お話されているシーンでした。
Aさんはずっと、この部署になじめていないと現実の私とのセッションの中でお話されていました。
夢の中の会議では、わざと語尾に挑戦的な言葉を使ったり、わからない、というふりをしています。
私も他の参加者のみなさんも戸惑っている様子ですが、私はどこかで嬉しいしワクワクもしている・・・。まるでボクシングで感じたようなワクワク感。
 
 フッと目が覚めて、起きて暫くして思いました。
 「あれは私でもあったかもしれない」
ボクシングの先生は、私がだんだんトリッキーなパンチを出すようになってきたと言っていたのを思い出しました。
相手とのトリッキーなやりとりを楽しんでいるのは夢に出てきたAさんであり、私なのかもしれない。
このパンチをどう受け取るの?っていつも相手に問いかけている。
ボクシングはそれでいて、私のパンチが相手に当たるようになると相手は喜んでくれたりもする。

そんなエッセンスを対話にも取り入れられないだろうか?(対話の攻防で相手にヒットしたら、現実には大変ですが!!)
Aさんの夢はそんなことを思わせてくれました。彼女は楽しんでいる、でもきっと寂しくも思っている。
相手と戦っちゃう自分を否定せずに楽しむことができたらいいのに、とずっと思っています。

 おっと、誤解が無いように付け加えますが、パンチを思い切り食らわして相手をノックアウトすることを楽しみたい、と言っているわけではありません!
 ”相手に遠慮して自分が言わなさすぎてしまう日常を、もう少し、楽しみや気楽さを持って対話できないだろうか?“
というのが私の投げかけです。
 私が掲げている2on1を通して、相手に投げかけたい“ちょっと痛そう”な対話は実践することができます。
また、私が開発したワークでも疑似体験はできます。そこからでも、大いに学べることはあります。
どちかかがまったく譲れそうもない関係性は、私たちの人類の叡智ではまだ、時間と労力を要するようです。逆に言えば、時間と労力をかければ、関係性はレッドエリアを越えることはできます。
職場やご近所トラブルは、“よほど我慢ならない”という状況にならない限り相手と対決する、ということはあまりないですよね。

 私のサービスもこれで完成したわけではありません。これからの体験や対話を通じて、私を含めた人類が自分自身の何らかの葛藤と、より上手に付き合えるようになるように、気づいたことや智慧をここで共有できたらという思いです。
 では、また!

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