【インタビュー編集前記】 組織で勤め続けるとはどういうことか? 契約社員が主流になる日が来る?!

 こんにちは。未曾有の巨大台風が通過中、これを書いています。
このWebサイトも、だ~らだ~らと春先から作り始めて、いつ完成なのか・・・?サグラダ・ファミリア状態になりそうなので、このWebを創ってくれている友人のみっつーと話して、

「よし、誕生日前までには終わらせるぞ!」と決心しました。

というわけであと1ヶ月ほど。

新しいことを始める時は、個人事業であれ、法人企業であれ、
「私(私たち)はこれから何を、誰に、どんなふうに、提供してこうか?」という問いは、必ず立つと思うのですよね。
私の場合、この問いに向き合って答えを考えている状態が、人一倍多く、長い気がします。
そんなわけで、「本当に私はこれをWebのメニューに入れて良いのだろうか?」などと、うだうだうだうだ…悩むわけです。
もはや悩むのが趣味と言いましょうか・・・。

 こんなふうにサラッと自分のことを言えるようになったのは、たくさんの仕事経験と、ストレングスファインダーを初めとする自己理解の学びのお陰だったと思っています。

 今回のタイトル「編集前記」は、つい数日前、私が主に2on1やストレングスファインダーを使ったグループ・コーチングやワークショップをやらせてもらっている組織の部長と課長さんへ、実施してみた感想のお話をお伺いする機会があり、その編集のための前記としてこのタイトルを選びました。
この組織は私が新入社員から現在も在籍を続けている会社です。つまり、同僚でもあり、お客様でもあるという不思議な関係です。
私は22年ほど1つの会社で正社員として、シビれるほど勤めあげました。在籍中に、様々な学びの学校やセミナーでたくさんの会社以外の方々とお知り合い、お友達になるにつれて、広い世界を知りました。
日本の正社員、ましてマネージャーともなれば、月~金、下手すれば休日も仕事のことで一杯一杯になります。私は所得と身分の安定を手放し、44歳から契約社員となり、残りの時間を自分のやってみたいことに充てることにしました。

どうして契約社員として残ったのか?というと、収入面を補う目的もありましたが、もっと大きな理由は会社が好きだったんだと思います。
正社員として働いた人間が、雇用形態を契約社員へ変更するなんてことは、定年でも無い限りまずありません。そういう変わった人間が会社にいる、ということはどういうことが起るだろうか?当初は不安と期待の入り交じる心持ちで契約社員生活と、当時は合同会社の立ち上げをスタートさせました。

あれから2年と少しを経て、その間、何が起ったのか?
今回のインタビューでは、その内容をお届けできるものがいくつかありそうです。

新しいことを思いつき、やろうとすると個人事業主はなかなか難しいものがあります。そんなときに、私は自分の所属する会社で試させてもらい、フィードバックをもらいながら正式版に変えていく。こんな取り組みができるようになりました。
また、在籍している社員の方々にも思わぬメリットがあったようなのです。
外部のコンサルタントを呼んで高いお金を出して相談するよりも、社員であり一応プロの人事サービス提供者である私と、気軽に社内打ち合わせとして意見交換する方がずっと内部のことを知っている分、信頼できる、ということをおっしゃってくれるのです。

 私は正社員として会社を去る際、「世の中の組織(特に大企業!)は全てなくなってしまえ!」とさえ思っていました。
自分の本位でない資料を提出し、上司の機嫌につきあい、今日も自分や自部署の評価を何とか落とさず終わった、と思って1日を終える・・(こんな状況の人ばかりでは無いと思いますが、、汗)これでそこそこ高い給料をもらって定年まで働く・・。なんだこりゃ??
おまけに自分が外で休日を割いて学んだことを、よかれと思って提案したりやっても、ちっとも誰もやろうとしない。理解しようともしてくれない。。こういう苦しみの中にいて、どうして?どうして?と思うことの連続でした。自分に正義があると、思い込んでいました。周囲には毒を吐きまくっていたと思います。
しかし、他社の人事の方のお話を伺う機会を頂くようになり、以前の自分のように「●●はわかってないですよねぇ?」という社内の他の人や部署を責めるような言葉を聞く機会が増えたときに、自分が正社員時代にたくさんの上司や同僚や部下を責めてきた自分を思い出し、今度は自分が深く傷つくようになりました。
私は同僚達を責めたかったわけではないのに!
相手の存在を否定するような言葉をたくさん投げつけてしまった。・・もう自分の会社の同僚たちとは距離を縮められないだろうな。本当に申し訳ない。
自分がやっていたことは新興宗教を無理矢理他人に勧めて、入信しなければ容赦ない当たりをする、というようなことだったなと思っています。しかしこれは学びをする人間が陥りがちなことでもあります。
状況はどうあれ、目の前のことを必死にどうにかしようと努力している人々を非難し否定してきた私が、彼らと同じ会社に居続けさせてもらうのは、どこかで1%の希望を持ちながらも、日々はとても落ち着かない感じがしていたのが正直なところです。
あんなに組織を否定してきたのに、いざ自分が望むような会社との距離を取れると、そのありがたみもよくわかりました。特にコロナ禍で、毎日出勤する状況でもなくなったときに、自分の肩書きや所属がはっきりしないというのは孤立感を強めてしまうものでもあったなと思っています。
たまたま私はいろいろな人の支えで生きてこれましたが。

 日本は世帯所得の中央値がこの25年間で130万減少したとあるテレビ番組で聞きました。その大きな要因が“企業への依存システム”だということでした。社員を解雇できない代わりに、給与を減らすしか無い、しかし企業はグローバル社会での競争力が落ちている中で、その給与を補填できるほどの売り上げ挽回もできない・・・こんなスパイラルが今、起きています。
これまでは一つの会社に居続ける最大の期待は、給与やポジションの継続的なアップでした。
しかし今やこの期待は淡くなる一方。。。
もう一つの期待は、個人の実績が上がり信用が上がれば、キャリアップが望めるということです。しかし、私の正社員時代の感覚を前述したとおり、本気で会社が個人の経験を積ませるために学ばせたりしている会社は、日本でどれだけあるのでしょう?というのが私の疑問です。
私が今選んでいるこの働き方、(会社の契約社員でこれまでの信用を利用しつつ専門性を発揮し、個人事業主として全く別の好きなことをしたり、会社組織で取り組んでいる仕事を他の場所で提供して収入を得る)という方法は、案外、これからは誰にとってもヘルシーでサステナブルな働き方になりうるかもしれないと、最近思っています。
特に大企業は、正社員として一定年数働いてきた社員が契約社員になっても、そう簡単には解雇したり減給したりはできません。むしろ契約社員として給与も保険も支払いが下がるはずなので、喜ばしいことのはずなのです。ぜひご検討されてみてはいかがでしょうか。

 編集前記だというのに、なんだか長くなってしまいました。
彼らとの話が2時間途切れること無く弾むその傍で、彼らの今のこの輝きや素晴らしさを創ることに、自分の会社員人生が少しでも関われたことに、本当に嬉しく誇らしく感じました。
「飯沼さんといろいろやりあって、今の関係性があるよね!」とケロッと言ってくれた自分の同僚だった新部長。
・・言ってなかったですが、どれだけあなたのことを深く責めてしまった日々を思い出し、自分を責めたことか。もう私はこの会社にはいないほうがいいんだ、みんな幸せに生きていけるんだと思った日々もたくさんありました。だけど、いつか何かできるだろうか、と自分にも同僚達にももちろん現職の管理職だったあなたとも、希望と期待を捨てなかった自分が偉い!
だからこそ、私は今、しつこいほど2on1や関係性に拘ってお仕事をしようと思っています。
そして何度傷ついても失敗しても、年月は必ず個人も関係性も進化させるんだと、心から乾杯をあげたくなった、嵐の夜です。
さて、これからいよいよ記事作りますよ~。お楽しみに。。

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