『鎌倉殿の13人』から学ぶ 大事な人との戦いの構造  頼朝と義経に2on1をしてたらどうなったと思う?

こんにちは。季節は紅葉全盛期、旅行支援の制度も相まって人の動きが活発になっているようですね。
 さて、ここ1ヶ月くらい穴熊のようにWebのライター作業をしておりまして、ブログを書くにも一抹の不安がよぎっておりまして。
ほとんど世論を追いかけておらずでしたので、唯一欠かさず見ていた大河ドラマのことに絡めて筆を進めてみようかと思っています。

 みなさん、観てますか?2022年のNHK大河ドラマ、鎌倉殿の13人。
私の周囲では毎週楽しみに見ている方、あまりに人が亡くなるので途中で脱落した方、ぜんぜん知らん!という方いろいろいらっしゃるようです。
 観ている方は、このドラマをみなさんはどんな風に紹介されますか?
何というか、ものすごい巧妙な“ピタゴラスイッチ”みたいだなーと思います。
出てくる人物の人生も、観ている側の感情も、ジェットコースターみたいなピタゴラスイッチ。
それでいて不思議なのが、上半期は特に、主人公北条義時だけは主人公っぽさが全く無くて、周囲がわちゃわちゃしているのにただ振り回されているだけ、みたいな人物でした。
うっかり姉(政子)の義兄(頼朝)に見込まれて、バンバン非情な命令を受けて半べそかきながら仲間を手にかけていく。女兄弟にも“むっつり”とか言われ、バカにされ気味でコミカル色が強かったんですね。すきな娘へのアプローチもたどたどしくて、ものすごく不器用だし。
ところが11月にもなると、彼が着ていた直垂(着物)は最初は薄緑色だったのがどんどん暗緑色になり、ついに真っ黒に。ものすごい形相で次々政敵の一族を根絶やしにしていきます。

プーチンも習近平も最初はこんな良いヤツだったんだろうか?真面目すぎて思い詰めるとこうなってしまうんだろうか?
あまりに義時の最初期が良いヤツ過ぎて、その義時がすこーしずつ、すこーしずつ、彼の心の平安を脅かすことに上手く対応できない記憶が積み重なっていく度に、ダークな力への正当化が、これまたちょっとずつちょっとずつ強くなっていくのです。
そういう“アハ体験”みたいに背景の絵がすこーしずつ変わっている手前で、いろんな人が出ては去って行く。

信頼し合った仲間同士、安らぎを分かち合った家族同士、そういうものが彼らの意図とは関係無く、どんどん引き裂かれて命が奪われていく。誰かの中の、「もう戦をなくして、安寧の世で生きたい」と思う強い想いが仮想の敵を大量に作り出し、自ら安寧ではない方に加担していく。
生命が脅かされないまでも、これに似たことは職場でも一杯ありそうです。あるいは学びの場、宗教団体でも起りますね。力のある人間がよしとされることを決め、それに従えない人間は存在を抹殺されたり、精神的な奴隷にされてしまう。

先日の最新話では、有力御家人の和田義盛を葬った義時でしたが、戦場に背を向けて歩き出すラスト数秒…
顔がゆがみ、涙をこらえる彼の表情が写りました。ここでもやはり、表向き政敵を打つ強い姿勢をみせつつも、本当は仲間を殺したくなかった彼の様子がうかがえます。
そんな彼の柔らかい部分を知らない将軍実朝は、どうにもならない義時を、これまた将軍の力を利用して更に強い力である京都方の上皇を味方につけることで対抗することを、義時に宣言します。ここでもまた新たな戦の種を生み出す芽になっています。その時の義時の、実朝を睨み付ける表情といったら・・・。

 どうしてこんなにも人の世には裏腹なことが起るのでしょうか。
どうか、このドラマから、自分の正義が他人の存在の死を招きかねない行動を取っているかもしれないと、多くの人が自分事として学び、何ができるのかを1人1人が自分に問いかけてみることを願ってやみません。もちろん私も含めて。
自分の正義という壁が厚く、固く、高いほど、結局は自分の身を滅ぼしていくのだ、ということをこのドラマは語っているように思います。
最初にトップに立った頼朝は、念願の平氏を倒したのに、その後も裏切りの芽を抹殺し続ける日々に疲れ果てて死んでいきます。

 頼朝にとって、その中でも一番打撃だったであろう人物は、義経だったのではないでしょうか。視聴されている方は覚えていると思いますが、頼朝のもとに帰ってきた義経の首の入った桶を抱きしめて、号泣するシーンがありました。
 もー、なんであの時義経を許してあげなかったかなーとか、
 なんで義経もそんなに欺されるかなーとか、
観ている側はいろいろ言いたいことはあると思います。・・・しかし、現代も二者の関係性ってそんなもんじゃないでしょうか。
二人が有名人であるほど周囲はゴシップしたり、少しいたずらしてみたり、ちょっと噂話を流して引き裂いてみたくなったり。人間の本性ってそんなところがあると思うのです。
 この時代は特に自分の立ち位置で生死がかかっているので、自分が安全にいられるのであれば、先々のインパクトなんて考えないでしょう。
三谷さん、このあたりの描き方はさすがです。法皇さまが鎌倉の力を削ぐために利用し、同僚は嫉妬で上司にちくり、奥さんは愛人静御前への妬みを募らせ、叔父さんはあわよくば手柄に乗っかろうとして適当なことを言って逃げちゃう。
会社の派閥も何かしら、似たような構図はないでしょうか。派閥までいかなくても、折り合いの悪い管理職同士や、先輩同士。これにより下に着いている者が振り回されたり、その人達を脅威に感じる上層部が動いたりとか…。はたまた会社同士の業界ポジション争いとか。
つまり、当人同士が相手を大事に思っていても、そうさせない力も多分に働いてしまいがちなんですよね。

前回のブログで、「自分自身のパワーを健やかに使うこと、相手にも使わせてあげることを意識すること、これが大事です。」と書きました。
少なくとも頼朝、義経それぞれがもう少し自分のパワーを使うことで先々にどんなインパクトがあるかを想像して行動することができたら、もう少し結果は変わっていたかもしれません。それでも、意図せずがんじがらめの方向に行ってしまうこともあります。こうなったら、当事者だけの力で和解するのは難しいでしょう。

ですので2on1を提唱しているわけですが、ドラマの中でも仲介してくれそうな役割の人はいました。
一人目は、頼朝の元カノ(八重)にあたる人。頼朝はそれとなく相談してみるのですが、元カノ自身は頼朝に対して恨みたっぷり、利害関係がありすぎて冷たくあしらわれてしまいました笑。これは通常の2on1でも同様で、どちかに対して個人的な感情がある場合は難しいです。
二人目は二人が諍い真っ只中に着任した問注所(訴訟を扱う機関)の人。本人自身「諍いの仲裁は得意中の得意」とか言っていたのですが、ぜんぜん彼は機能しませんでした笑。これも象徴的で、よく会社には「コンプライアンス駆け込み所」みたいな機関があったりしますが、上層部のいざこざに関しては対象外だったりします。会社内のこととはいえ、そもそも会社を担う役員クラスのいざこざは会社内の仲介者は役に立たないということが往々にしてあります。社内で2on1担当者を置く場合、従業員には良いですが役員には外部の担当者の方が適任です。

もしこの時代にタイムスリップして私が2on1をやらせてもらえるとしたらお二人に何を話して欲しいかな?と想像してみました。(現代でもそうなんですが、二者が同じテーブルについてくれるところまでが難しいのですが、何とかその場をセットできたとして。)
きっと一番お二人が共有したいのは、どれだけ親兄弟を殺されて寂しい思いをしてここまで生き延びてきたか、義経が東北から駆けつけて再会できたときどれだけ嬉しかったか、そして今もどれだけ寂しいか。
そして何より、「大事な人と二度と戦わないために何が必要だろうか」をじっくり訊いて、私も智慧をいただきたいと思います。
いつの時代もその智慧のバトンは引き継いで行く必要があるのでしょう。
頼朝から義時へ引き継がれたダークサイドの力がこの先どうなっていくのか、直垂の色は何色に変化していくのか。
争いや分断の絶えないこの時代に私たちはこのドラマから何を智慧として持ち帰れるのか、楽しみにしたいと思います。

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