<個人事業主になって感じる変化>
こんにちは、Nurture&Matureの飯沼美絵、ぬまっちです。
個人事業主と地域の防災に関するパートを始めて1年と少しが経ちました。
最近、Gallup社のデータを見ていて、サラリーマンだった頃の私の価値観や考え方、行動ってきっと全然違うんだろうなって感じる事が多くなりました。
何だかんだ、サラリーマンは会社が言う目標を追って貢献すれば、評価がもらえる。ある意味すごく単純です。
だけど、今の世の中、というかサラリーマン時代から私の外の世界はそうだったんだと思うけれど、
会社の箱の中よりずっと難しくて、気候や気象、政治や経済、いろんなことに選択を慎重にしていかなければ、Totalの幸せはやってこない。
追うべき目標さえも、それでいいのか?といつもチェックしていないといけないような環境にいるなぁって思います。
<Gallup調査と日本人の感情>
ストレスは高くても感情は低めというGallupのデータ。
米リサーチ会社Gallupが世界160か国以上約22万7千人を対象として職場での熱意やネガティブな感情などを調査した「State of the Global Workplace 2025」を発表しました。
https://www.gallup.com/workplace/349484/state-of-the-global-workplace.aspx
ネガティブな感情とは、「ストレス(プレッシャー)、怒り、悲しみ、孤独」の4つの感情を日常的に抱いているかどうかを聞いています。
その結果、日本の従業員は「ストレス39%、怒り13%、悲しみ9%、孤独11%」となりました。
皆さんはこの結果を見て、納得!でしょうか?
ええ?違うんじゃない?と思ったでしょうか。
私は違和感、というか不思議だなぁと思ったんです。
ストレスは10人に4人が日常的に感じているのに、怒りや悲しみを感じる頻度は低い。
ストレングスファインダーの資質で、”共感性”と”自己確信”を上位に持つ私としては、
「もっと感じてもいいんじゃない?いいんだよ??」と言いたくなるのです。
ストレスも本当はもっと感じている人がいるんじゃないだろうか?
大丈夫なふりをしているのか??と思ってしまいました。
こんなに経済も政治も気候も不安定で、どうやってストレスを感じずにいられるのよ?
もう、どんな状況でも楽しめる達人なのか、あるいは、すっかり感覚を麻痺させているのか?
<会社員時代と感情の抑制>
いや、確かに私も会社員時代を振り返ってみると、そうかも、と思いました。
上司のサグラダファミリアのように際限がなくて、バベルの塔のように高い期待を背負って、ストレスまみれの毎日。
だけど感情があるかというと、ない、と答えると思う。
正確には、感じている暇がない、なんだと思う。
<考察:なぜ私たちは感情を感じにくいのか>
調べたら、情動麻痺と言って、感情が感じにくくなる症状があるようですね。
心を守るために感情を感じにくくして、まるで心がフリーズするような状態。
ずーーっと強いストレスに晒されるとか、トラウマレベルの衝撃的な体験をすると、感情が鈍くなったり、麻痺したりするらしい。
これですかね?
それとも、仕事の場に感情は不要だから、「感じません」と答えているのでしょうか。
私の推測は、多くの方は、「感情を感じていない」のではなく、「感じていないことにしている」か、「自覚できないほど麻痺している」か、「感じたが報告していない」のどれかではないのかしら?
って思うのです。
もし、そうだとすると由々しい。
感じたが報告していないのは良いとして、感情が動いたことをどんどん”ないこと”にしているとしたら、一時的には楽かもしれないけど、たぶん風船のように心の奥で膨らんでいってしまうから。
でも確かに、思い出した。
私がまだ、サラリーマンだった頃。
だんだんと会社だけではなくて、いろんなセミナーに行って周囲の人に助けてもらい始めた頃。
師匠に言われた言葉だ。
「少しずつ、ぬまっちの中の感覚や感情を解凍できるといいね」と。
そうだ。
いつからか、必要な情報しか見なくなった。
よくセミナーで、見せられる動画「ボールは何回パスされたか後で動画を見て教えてください」と言われて数えて、答えを告げた。
ところが、「実はこの動画は、ボールがパスされる以外に、不思議な映像がありました、それは何だと思いますか?」と言われた。
このことに私は「最初にボールのパスの数と言われたのだから、他は見てないに決まってるじゃん!!」と憤慨したものでした。
この動画のワークは、目の前の成果(=パスの数)に集中するあまり、他の重要な情報(=感情や変化)を見落とすという、会社員時代の自分そのもののようでした。
成果達成に必要ではない情報は捨てる。
こうした外部の情報も、自分の中にある感情という刺激も。
いちいち上司やお客さんや部下たちの自分への責めを聞いて感じ取っていては、成果につながらないし、自分がボロボロになってしまう。
成果なんか追わなければいいんだけど。
それでも、多くの人は、成果を出すことで自分が認められたい、爽快な気分を味わいたい、仲間との結束を高めたい、信頼する人の期待にこたえたい、自分がみじめでいたくない・・
こういうたくさんの期待を自分に込めて、頑張っているんだと思います。
で、成果を追求することで、どんどん幸せになるのならいいんだけど、何やらGallupさんのデータを見ていても、幸せには感じていない人も多いみたい。
<自己内対話と癒しへの提案>
何かの成果を追求するときに、陥りがちなのは、自分で自分をせめてしまうこと。
子どもの頃、親や先生が自分を指導するときに、「おまえはどうしてそんなに●●ができないの?」とか、「(ネガティブな)おまえはどうしていつも●●なの?」と言われたことがある人は多いと思います。
そのたびに、「そうならないように」と自分の一部をつねり上げるように押し殺し、言い返したい気持ちやわかってもらえない悲しさを封じて生きてきたかもしれません。
こういうことが繰り返された結果、大人になったら今度は自分が自分に対して、
「おまえはまた●●なのか」と自分にラベルを貼るようになり、自分の中で自分を非難する声を生み出してしまう。
自分にラベリングすることで更に自分を加害し、加害された被害者の自分が増していく。
厳しいことを言い、時には身体を痛めつける事で子供の指導だとしてきたこれまでの日本の多くの家族システムが、大人になっても、そうした”毒親性”(あなたの親が毒親と言っているわけではなくて、普段は善良な親の、毒親の性質の部分)を自分の中に再生産し続ける。
“毒親性”とは、普段は善良でも、育て方の一部に子どもの心を傷つけるような要素があることを指します。
これをやると、自分が癒されるどころかどんどんトラウマが加速するんです。
もしも、大人になっても自分はどうして・・・と思っている人がいたら、
自分でこの構造を作っていないか、ぜひ思いを馳せてみてください。
望ましい自分になろうと思ったら、自分で自分を叩きつけるような言葉を使わないこと。
「私はどうして●●なんだ」と自分に不幸なレッテル貼りをしそうになったら、
「私はこう感じているんだ!」というふうに言ったり書いたりしてみること。
私は今、怖い、悔しい、悲しい、ちょう嬉しい!とか。
そして上級編になったら、自分の中の責める声と、傷ついている声を分けて出してみるのもオススメです。
(こういうワークもやったりしています)
感情を感じることを取り戻すことが、「感情が動かない国」にいる私たちの癒しの一歩かもしれません。
あなたはどうですか?
コメント