こんにちは。Nurture&Matureの飯沼美絵です。
久しぶりすぎてスミマセン。
今年は災害に関する活動目白押しで、9月に能登豪雨で被災してから少し非日常的な感覚でした。
如実に、気候がおかしいと感じる日々が増えてきました。
いよいよ、もっと、気象災害への感度を日本全国が高めないといけないと感じています。
でもただ高めると言っても、無力感を感じすぎては心の健康に悪い。
できることを考えよう。そしてあるんですよ、できることがいっぱい。
そう教えてくれたのは、今年新しい職場に入って学んだこと、能登で被災者の皆さんが教えてくれたこと。
災害そのものをとめることは出来ないけれど、私たちの人生でこれまで培ってきたこと、頑張ってきたことが十分生きるんです。
私は職場では、大田区の区民協働課というところからお仕事をもらって区民が協働するお手伝いをしています。
日本は特に自分の力を過小評価して、謙虚すぎる人が多いと思っていますが、力が健やかに使えれば人生も楽しくなります。
強盗、闇バイト、迷惑運転、SNSの暴言、これら全ては、自分の力がうまく使えていないだけですからね。
誰かと頼り頼られることで、本当はこれ以上頑張らなくてももっと良い世の中になると思っています。
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今日は、最近はまった、「葬送のフリーレン」というアニメ (漫画原作)から、この世界観での「力」とは何なのか、商売道具のストレングスファインダーを絡めて書いてみたいと思います。
これは、魔法使いのお話です。
魔法使いのお話で他にベストセラーとなったものの代表作として、「ゲド戦記」などがありますね。あと「ロードオブザリング」とか。
フリーレン、という名前の魔法使いが主人公です。彼女は人間ではなくエルフ。既に1000年くらい生きているらしい。
1000年以上魔法の鍛錬をしてきた、もの凄い魔法使い。
だけどゲドのように見るからに勇者とか賢者とか、そんなのではなく、むしろ逆。
日常生活はどちらかというとポンコツ。
弟子は人間の“フェルン”という名前のしっかり者の女子で、いっつも、フリーレンは弟子から怒られたり面倒を見られたりしている。
こんな設定もおもろい。
さて私がどのシーンに着目したかというと、
彼らが旅をしていく中で、魔法使いの検定で1級を取らないと、その先に進めないという展開になり、その試験に挑むという編がアニメの最後の方に出てきます。
そこに登場するキャラクター、三白眼の目が座ったユーベル。ドイツ語で「悪」を意味するらしい。
彼女もまた、1級に合格するために集まった魔法使い。
得意魔法は「だいたいなんでも斬る魔法」。おもしろいネーミングですよねw
ユーベルは集まった魔法使いたちのなかで、特段強いわけではないものの、他の魔法使いと違ったのは、「私が斬れるとイメージしたら斬れる」ということ。
試験は、受験生と1級魔法使いの複製体が迷宮に出てきて、全て倒せば勝ちというもの。
このあたりは「ゲド戦記」に出てくる「影との戦い」を彷彿とさせるけど、何が違うかって。ここが現代版魔法使いの戦い方であり、ストレングスファインダーにも通ずるところなんですよね。
あ、ちなみにゲド戦記を知らない人のためにゲド戦記の名シーンをサラッとお伝えしておくと、
ゲドという魔法使いが若い頃、自分の力を鍛錬するために旅をしていて、世界中で正体不明の影に追い回されるということがあったんですね。
その最後の影との戦いでわかるのは、どうやらその影はゲド自身であった、というオチがあるのでした。
複製体の自分自身と戦う、というのはそれに似ているなぁと思いまして。
ユーベルは、その場で一番強い魔法使いゼンゼという魔法使いの複製体をあっさり斬って倒してしまうのです。
この直前のシーンで、一番長老の魔法使いがどうやってゼンゼを倒すかということを考えあぐねています。
その場に出くわしたユーベルがあっさり、「あんたには勝てない、わたしがやる」というのです。
ここら辺も暗に、晩年のゲドを思わせるようなキャラを出させて、彼の手に負えない相手をあっさり若い女子のユーベルが倒してしまう。
このゼンゼ、という魔法使いは髪の毛がとても長く、その髪の毛を使って強力な攻撃をしてくるタイプ。
このゼンゼを倒したユーベルが最後に言う言葉が本当に示唆的なんです。
「みんな、頭を使いすぎなんだよ。髪は切るモノでしょ」
そして、本体のゼンゼも、複製体がユーベルにやられたことを察して、完敗を認めます。
「ユーベルには勝てるイメージが沸かない。相性が悪すぎる。」
そして実はこの二人、過去にも会っていて、その時の短いやりとりが回想で出てくるのですが、
「綺麗な髪の毛だね。手入れとか大変でしょ?」
「髪の手入れ?地獄だよ」
「きっちゃえばいいのに」
こんなことを言っています。
つまり、このやりとりやキャラクターの活躍を見ていると、
人がランク付けした序列や経験年数ではなくて、相性という相対的なもので、相手にとって強くもなるし、弱くもなる、ということ。
ちょうどじゃんけんと同じです。
チョキ(はさみ)はパー(髪・紙)に強く、グーに弱い。
はい、私も頭使いすぎなこと多いです、ユーベルさん!
序列の価値観が優位な社会に先入観を植え付けられて、『相手は強いとランク付けされているから勝てない』と思ってしまいますよ。
こういうイメージや先入観がいろんな結果を支配してしまっているんでしょう。
仕事場では如実にありますよね、経験年数が多いから、年長だから、役職が上だから、だから、そういう人の方が良い知恵を持っている、良い結果を出す、迷惑をかけるのはその逆の属性の人々だ、みたいな先入観が。
ただ、この葬送のフリーレンの話に戻ると、救われるのは、相性の悪い相手と戦うことを作戦として提案したのは、他でもない、先ほどの長老魔法使い。
時代が変わっているのをちゃんと描いてくれている作品でもあると思います。
また、フリーレンの魔法だけは別格として描かれているのも、ちゃんとこの作品には夢もあります。
1000年という途方もない時間軸の先にあるものは、人間の世界観では計り知れませんが、彼女は決して一人で生きているわけではなく、人間の時間や時代感覚にも織り込まれながら、師匠から魔法を受け取り、また弟子に受け渡していっている。
魔法というスキル以上のものを、しっかりと受け取り渡している。
それでいて、人間のことを全然知らないと、旅を続けています。
こんな素敵なところも、この作品の人気の秘密かと思います。
ぜひ、みてない方は観てみてください。
改めてストレングスファインダーも、序列のない世界を大事にしています。
ある資質が強さを見せるのは、ある特定のシチュエーションとか、ある資質のよわみになりがちなところを助ける場面だったりします。
よわみがあるからこそ、つよみが活きる。ただ、それだけのこと。
ストレングスファインダーを使う人たちは、よわみを口にするのはタブーと思っている人も多いけれど、
それではつよみが価値を持ちすぎて、よわみに価値がないように伝わりすぎてしまいます。
つよみとよわみは極同士としてセットであり、よわみがない世界は、つよみも存在しません。そしてよわみはつよみの引き立て役ではありません。
もっと言うと、つよみもよわみもそれ自体が相対的であるということも言えます。
わかりやすくするために、本にはつよみ使いよわみ使いに分類されているけれど、本来世界はそんなに単純ではないのですよね。
今日はこの辺で終りにしますが、いずれ近いうちに(たぶん)、そもそもつよみとよわみってどう分類されるの?ということに触れたいと思います。
今日もお読み頂き、ありがとうございました。
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