増える災害下での            ストレングスファインダー

こんにちは。Nurture&Matureの飯沼美絵です。

最近、あまりに暑い暑いと誰もが口にするので、本当に炎天下で歩き続けてみたらどうなるのかと思って、やってみました。

その機会は、たまたま出張で訪れた地でした。
普段都心に暮らす私にとっては海や山の空気や雰囲気は本当に贅沢品なのです。

ところが日本の地方って、平日は本当に交通の便が悪い。

海の空気を吸って、海鮮を食べたい、お土産を買いたい。
こんな小さな希望を、夏の酷暑に片道30分歩く!、という大胆な野望で実行したのでした。

結果、あんまり暑くない。
多分、海風があったせいか、日差しは強けれど風は涼しくとても気持ちいい。

このことから私がわかったのは、
毎日、最高気温をニュースで数字で観て、そこから流れてくるメッセージに洗脳されてしまっているのではないか。
自分の頭と身体で、いまの気候は自分の身体にとってOKなのか?ダメなのか?という感覚を澄ますことを、サボってしまうサイクルが出来上がってしまっていたんでしょうね。

病気していたり、体力が弱かったり、小さい子供やお年寄りは無理にとは言わないけれど、
これからどんどん不規則な気象により日常生活に支障があることが予想される未来で、必ずしもクーラーがあるところでずっといられるとは限らないでしょう。

このことがわかってからは、身体が大丈夫そうなら大きな木の木陰で本を読んでみたりしています。
私は比較的暑さに強いんでしょうね。これも立派な私のギフト資質の1つではないでしょうか。

先日は、大きな広場のベンチで座って、草樹の匂いを楽しんでいたところ、日本国籍ではない方々が子供から大人まで楽しそうにピクニックしていました。
こんな風景を見させてもらって、何か私もこの地域の社会の一員なんだな、というほんわかとした幸せな気持ちになったものでした。

さて、今日の本題は、私の夢について真っ正面から話させてください。
ストレングスファインダーの資質では私は未来志向が2位で、将来の社会がこんな風になったらいいな!というのを語るのが自分のご飯です。

私は今、48歳です。
4年前に正社員を辞めて、今はプロセスワーク(心理学の一種でセラピストやファシリテーターを育てる学問)と防災を人生の中心において生活をしています。

ストレングスファインダーももちろん利用させてもらっていますが、私のストレングスの使い方は、人と対話するときだけに使っています。
人というのは人間の、自分自身の中の葛藤する2つのパーソナリティと対話するという意味も含みます。

プロセスワーク、防災、対話をセットにしたストレングスファインダー。
この3つのことに人生の中間地点で絞ったのは、改めて自分も含めた世の中をこうしたいから、という野望があります。

『働く』、ということが他者からの力の搾取にならない世界が創れたら良いと、切に、切に、願っています。

人類の歴史は、主(あるじ)と労働者による生活や居場所の保証と労務提供という効率的で効果的なしくみを生み出してきました。
一見Win-Winのようだけど、どうしても人類の歴史は主の側が労働者側の資源を搾取してしまう、ということが繰り返されているようです。

日本で表向きの奴隷制度はなくなっても、
その分、資本という目に見えないエネルギーは、監視の目をすり抜けるのが巧妙です。

最近、企業で仕事をするたびに、もはや自分の生きがいを求めて職場に通うなどというのが何時代だったの?
というくらいかけ離れた価値観なのだろうな、ということを感じるにつけて、本当に残念でなりません。
ストレングスファインダーの恐いところは、そうした資本家や上層部の思惑とくっつきやすいという盲点があると感じます。
企業で人事や上司が導入すると、搾取方向に使われ気味だなぁと感じる場を目にします。

おまえ、良いものもっているな、差し出せよ、と。

こういうみんなが苦しいループから外れて、どうにか、仕事(人の助けになる行為全般)に対して、もっと原始的な楽しみを見出してもいいんじゃないでしょうか。

いつからか、「キャリア」という言葉にも何か違和感を感じるようになりました。
転職サイトやモノの本は、キャリアに関して、経験や収入を積み上げていくことが良いと煽りますが、それは誰のためなんでしょうか。

本当に本人や家族のため?

まるで暑さに対して自分の身体を忘れてしまうように、
会社での指示をこなし、自分のイキイキとした感覚を忘れてしまった日々で、
ある日ある時、大きな災害が起きてあなたが被災するとどうなると思いますか?

これは最近、お仲間のベテラン災害ボランティアスタッフさんから聞いた話です。

『例えばある場所で大きな水害が起こったとする。
そうすると、学校の体育館とかに避難するよね。
で、一夜明けて、自分の家を見に行く。

そうすると、流されたり土砂崩れでダメになった家もあれば、ギリギリセーフだった家もある。

このことが、その被災者の人達にもたらす気持ちというのは、本当に複雑。

自分の家はダメで、近所の○○の家は助かった。
なんで俺の家だけが?!っていう気持ちになるんだ。』

そしてこう続けました。

『そういう、被害者意識が蔓延する。
そうすると、避難者同士で助け合って、帰れる家がある人の家のがれき撤去を手伝ってくださいってスタッフが指示しても、
「なんで助かった家の手伝いなんかしなきゃいけない?」っていう話になるんですよ。』

え?そんな人いるんですか?
って私は瞬発的に聞きました。

『どこの避難場所に行ってもそういうことが起こっていました。
平時はみんな同じこというよ、「そんなこと言うわけないでしょ」って。』
という答えでした。

つまり、平時と違う何か大きな危険が伴う有事に、こういったことが起こると、心理状態としていつもと違う人格になってしまうようです。

このことを聞いて思ったのは、まずこういうことが誰にでも起こるよ、という情報や知識が必要なんだよなぁ、と。

プロセスワークでは、ある日常とは違う状況下に置かれた時に、普段の自分とは違う人格のように振る舞うことを、よくあることと説明しています。
これは例えば、会社を例に取ったときに、いつもはっきりお客様や部下に指示をすることで有名な管理職のAさんがいたとして、
ある特定の、例えば役員報告会に出るときは、ものすごくおとなしく静かなAさんになってしまう、という説明をすれば皆さん納得いくのではないでしょうか。

ストレングスで説明する場合は、普段は自分や他者のことを考えた資質の使い方ができる人が、
そうした有事の時には、弱み使い、つまり目先の利益に囚われてしまい、長期でみるような普段のゆとりあるつよみ使いの視点がなくなってしまう、ということではないでしょうか。

先ほど私の暑さ耐性も資質と書きましたが、暑さに弱い人達の中で、自分や自分の身内だけが暑さの中でも得られるような資源を独り占めして、生き延びることを考えてしまう、こんな態度になってしまうのかなと思います。

つまり、慣れていないのだと思うのです。
いろんな、特に制約があるような極限の状態で、自分の使える力がどれほどのもので、どこまで使えるのか?
がわからないから、過度に守ってしまう。

これから増えていくだろう(増えて欲しくはないけどデータが示しているので)災害と、その関連への備えは、自分の力を覚醒させて、本当に自分の人生を自分で歩むために必要なシチュエーションだと思うのです。

ただ、これも災害ボランティアスタッフさんがハッと気づかせてくれたのは、こんな言葉です。

「被災者のほとんどの人は、『まさか私のところが被災するなんて・・自分が被災者になるなんて全く夢にも思っていなかった』って言うんです。それで、本当にその人が大事な人やモノをなくしているんです。」

だからこそ、シュミレーションで想定して災害に備える、というのは、必要なものを守れる上に、自分自身と向き合える最高の学びだと思うのです。

こういうことを発見してから、プロセスワークの、世界への智慧に満ちた眼差しを広めつつ、つよみや力を人が本当に使いたい方向に解放していくか、ということの実現を考えています。

ぜひ、こうご期待くださいませ!そして力を貸してくださいね。
また書きたいと思います。

<お知らせ>
ストレングスファインダー×プロセスワーク3期対話実践会の受付スタートしました。
こちらよりご確認ください。
https://peatix.com/event/4082365

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