今回はWeb制作の相談に親身に乗ってくれた、相棒のみっつ〜にワタクシぬまっちへ、インタビューをしてもらいました。
”ぬまっちのエピソード0”、こちらは前編です。そもそもなぜぬまっちは2on1コーチングという手法に辿り着いたのか?ぬまっちって一体どういう人なの?前編は、あまり私自身も話したことがないようなぬまっちの子供の頃や、社会人になりたての頃のお話をさせて頂いています。

そして、まだまだ2on1コーチングは知られていない!
実際、私がどこかでお話する機会があれば口頭でお伝えしたりするのですが、お話をすると「へぇ~!!画期的じゃん!」とか「もはや発明でしょ!」と言ってくださったりします。
加えてよく言われるのが、「部下との関係性を取り持つなんて、上司を甘やかしすぎじゃない?」とか「知らない人が同席するのって余計に緊張させない?」などなど。

後編はそんな2on1コーチングの疑問を丁寧にお伝えしていきたいと思います。
よく頂くご質問に、いつもどんなことをお伝えしているのか、私の考えなども交えながらお答えしていっています。
ちょっと長い文章になってしまいましたが、友人と気軽に話しているような感じで書いていますので、ぜひ肩肘張らず、お休み時間などにでも読んでみていただけたらと思います(^-^)

インタビュー後編はこちらです。

 

Member

 

●ぬまっちはどんな人?●

(みっつ〜 以下み ぬまっち 以下ぬ)
み: さて、僕はぬまっちのWebの相談に乗らせてもらってサービスの内容とか、受けた人のインタビューとかは読んでいたんだけど、そもそもぬまっちがどんな人で、どんなことをしていて、その2on1コーチングてどんなものなの?って言うのを聞いてみたいなと思います。

ぬ: はーい、なんか恥ずかしいわぁ。そうだよね、一緒にWebができあがるのを見守ってくれていたよね。私は過去のことはすぐわすれちゃうから、今改めて言葉にしてくれてとてもありがたいなって感じました。今日はよろしくお願いします。

み: はい。ではまずはじめに、ぬまっちのWebを見てくれる人はもう十分ぬまっちを知っている人もいれば、初めての人もいると思うけど、改めてぬまっちはどんな人?って聞かれたら何を話したいかしら?

ぬ: 自分で自分を語るって難しい質問だよね~笑
最近よく思うことがあって、小さい頃はすごい平凡な人生を送って、わりと早く死ぬだろうと思っていたのだったなー、と。家族や親族の中でもずっと一番年下っていうのがあったから、なんなら従姉妹の子供の方が年が近いという境遇で、端っこの方にいる感じっていうのが自分のアイデンティティだったんだよね。
若い頃思っていたのは、私はそういう人生だろうなって感じだったんだけど、社会人になって若手選抜育成の一人に選ばれたくらいから、ちょっと変わっていったんだと思う。2000年になる直前の頃で、まだ女性だけを選抜して育成するというのは斬新だったと思う。まだまだ男性優位、ベンチャー気質で、女性役員が一人いらっしゃったんだけど、その人が自分の後継として自分のやってきたことを継いでいくために若い子達を集めた場で。
”松下村塾”みたいな感じの場だったのね。

み: へぇ~。

ぬ: 私はずっと、自分は隅っこの方にいる存在だっていう劣等感があったので、そこに選ばれて、なんであたしが??と。
配属先も営業職になって、親戚中にもその話が知れ渡って「なんでこんなしゃべらない子が、なぜ?」って言われてね。人事の人に何度も「私が営業職って間違いだと思うんですけど?」って言いにいったんですよね。私はSE職で応募してて、前に出てしゃべるとか一切自分の中になかったんですよ。

み: ふーん、そうなんだ・・!

ぬ: だから、もともとの才能を発掘してもらったのか、場として役割を与えられたからそこからそうなったのかわからないけど、将来のリーダー候補みたいな選抜だったので、そこからことある毎に先輩達に「そんな隅っこにいないで、あんたが前に出ないとだめなのよ!」っていちいち言われるようになった。すごい嫌だったんだけど・・・。

 

●だんだん隅っこにいられない人生に・・・●


み: それだと隅っこにいられない感じだよね。

ぬ: そうそう、でも最初の頃はまだ隅っこにいて、いつも先輩に襟首を後ろから捕まれて真ん中に連れてこられるみたいなくだりを繰り返していたなって思います(笑)
そのうちどうせ連れて行かれるんでしょって途中から学習したから、なんとなく中心地の側にいるって感じから始まって、というのが入社2、3年目くらいかな。24、5歳のころ。

自分は目立つ存在ではないと思っていたし、何かを成す人ではないと思っていた。
24でマネージャー見習いになるんだけど、会社、頭おかしいんじゃないかと思っていた。
”こんな若くしてやらせる?”っていうのもあったし、”私を、っていうのも的外れもいいとこ!”って思っていた、のが20代の真ん中くらい。

27歳くらいから自分での頭で考え始めて、マネージャーとしてやっていくのであればもうちょっと勉強しなきゃとか、経験を積まなきゃとか思った時期があって、そこからカウンセリングの勉強に行ったりとか。

み: へぇ~。

ぬ: 30歳くらいになるともうだいぶ生意気になっていたんだよね。そんな感じで、20代半ばはだいぶ落ちていたけど、30にもなるといい気になってて、今振り返るとどうかしているくらい生意気だったと思いますよ・・。笑
周りの人たちが温かく見守ってくれていた、と思うんですよね。
そこから自分で考えて創り出したりというのを、もともと持っていた資質だと思いますけど、自分のつよみというかライフワークみたいになってきた、という感じですね。

み: いろいろ考えはじめて自分の経験を積まないとと思ったときに、カウンセリングや心理的な方面に行ったのはなんでなの?

ぬ: 2000年が少し過ぎた頃って、まだそこまで私の周りはMBAとかロジカルシンキングとかは言われてなくて、会社のDNAとしても「人間性を磨きなさい」というメッセージを上司や先輩達から受け取っていたんですよね。

2005年くらいから、世の中も会社も変わったなという感覚はあったけど、それまでってどちらかというと昭和のカリスマ経営者の後ろ姿を追っかけて「ああいう人になるべし」みたいなムードがあったんですよね。私が選抜された研修内容も、マネージャーとして人間性をどう磨くかというのが中心だったかなと。そんなところから、”私に足りないのはそこ(人間性)だ”という感覚が強くなったんだと思います。

み: マネージャーとして人間性をどう磨くかってことね。それでカウンセリングの方向に行ったのね。そこから心理系にのめり込んでいった?

 

●若くして難易度の高いマネジメントの壁にぶち当たる●

ぬ: そうですね、当時26、7歳くらいで既に部下に当たる人が40人ほどもいて、かつアウトソーサーだったから、私の配下の人たちは自分の目の前で働いているわけじゃなくてお客さんの会社の中にいた。

み: はいはいはい。

ぬ: みえないんですよね、日常の様子が。その場の責任者から伝え聞くことでしか采配ができない。それは相当自分が相手の様子を観る力や聴く力だったり、まとめる力がなかったら絶対無理!と強烈に感じた出来事があって。ある事業所のメンバーがぼろぼろ辞めたり、派遣の人が来なくなったり。そういう事業所があって、自分が大きくなっていかないと・・・無理だなぁと思った経験があるんですよね。

み: 今みたいにZoomとかあるわけじゃないからね、やりとりがもっと大変だよね。

ぬ: そうそう。意図的にも意図せずとも隠蔽されてしまっていたこととか、知られなかったこととか解釈が違ったことなんかは相当一杯あったと思うんだけど、そうでさえも、悪いことばっかり聞こえてくるような事業所があってね・・・。
私に最後は聞いて頼ってくるんだけど、正直どうせいっちゅうねん、と思ってたな。

み: 20代後半から今ぬまっちが提供しているものに辿り着くまでどんな感じで進んでいったの?

ぬ: 会社員時代は40歳くらいまで、会社とは蜜月だったときもほとんど”マドギワ”みたいな時期もありました。27歳位の頃、マネージャーの仕事に耐えきれなくなって、「会社辞める!」って言ったんだけど、当時の上司に救ってもらって、「そんなにカウンセリング好きなら、会社の中にカウンセリング室をつくんなさいよ。」って言われて。懐の大きい上司でしたね。
そういう部署はないけど、研修をやっている部署なら将来そういうことができるチャンスがあるかもしれないから、研修課のほうに移る手はずをしておいたから、と言われて。

み: へぇ~、そんなことがあったんですね~。それは凄いね。

ぬ: 上司の方が何枚も上手でしたね。その時はもう三行半を突きつけて去ろうと思ったのに(笑)「あ、じゃあ・・・いきます」と、なんかかっこ悪かったけど、辞めるのを止めることにしました。28歳の時です。

 

●人事で、現場の人と一緒に考えて実行していく仕事へ●

み: そこから人事系の人生がスタートなのかな。

ぬ: そうそう。部門についている人事だったので、都度部門で起こる問題や悩みを部門の現場サイドの人たちと一緒に考えていけるのがすごく面白かったですね。
本当にいろんなことをやらせてもらって研修からスタートして、カウンセリングも実現できたし、その実績を買ってもらって、29歳から、社員の人たちにいかに会社に定着してもらうかというリテンションの施策を考えて推進するプロジェクトリーダーもやらせてもらいました。
2005年以降、中途も入る代わりに退職も増えてきたんですね。
年間200人くらいの退職が決まった人のインタビューをして、データを蓄積して、そこからどこにどんな手を打つかを、6年くらいやっていたのかな。
周りから、そんなあまり人がやりたがらない仕事って嫌じゃない?って言われることが多かったんだけど、全くそんなことはなかったんですよね。不思議と。
このときから自然と、”何かと何かを結ぶ”とか”結び直す”ということに吸い寄せられていた感覚があります。
この仕事はとても力がつきましたね。その後、退職を希望している人の話を聞いてあげてほしいとか、現場と繋ぐみたいなことも、相談があればやったりしていました。
今の仲介の原型かもしれないです。
そういった声を拾って、制度を変えたり作ったりとかもやっていました。

み: その頃から間に入って調整したりとかやっていたのね。

ぬ: そうね、意図せずそっちの方向になっていましたね。それが35歳くらいまで。その後、その頃になるとメンタルヘルスの重要性も言われるようになって、今度はお休みが必要な人を休職させるための繋ぎだったり、復職したい人をどう現場に返していくかというような仕事を手がけるようになりました。現場が人が足りないからと無理して休職者を復職させてまた体調不良になることが出始めていたので、このあたりの制度を作って運用しました。当時は復職してから現場復帰するためのプロブラムも考えて、手厚くやっていたんですよ。

み: 世の中の流れよりちょっと早いかもね。今でも医療機関でもやっているのは一部だよね。当時は言われはじめたくらいかな。

ぬ: そうだよね、だから大阪の復職プログラムをやっていた心療内科の先生が患者さんの放火で亡くなってしまったのは本当に心が痛かった。
当時よりもずっと、休職する人が自分の存在を訴えられるようにはなっているのかもしれないけど、ああいった形で存在を見てもらって亡くなられるのはしんどいね。

み: ちゃんと休みたいとか、復職したいとかいう声を吸い上げられるポジションがあったのは大きいんだろうね。

ぬ: そうね、他方で、その頃から従業員を守る方向が強くなって、マネージャーが強く部下に指導できないようなケースも出てきて、休む必要があるのにしっかり休まない従業員に厳しく指導を申し渡すようなこともやっていました。裁定をしっかりやって双方を守ることも必要かなと、第三者としてこういった面も得意だと思います。

 

●35歳でマネージャーへ戻ることに。そこで感じた限界●

そこからリーマンショック後に大幅に間接人員が削減されることになって、35歳の時に現場を見るマネージャーに戻ることになりました。
その後は人事時代に学んだことで人よりアドバンテージを持ってマネジメントできたことでだいぶ評価をもらいました。その後43歳の時に、ストレングスファインダーのコーチの資格を取って第二の人生をはじめようと思って、44歳から新卒から勤めた会社で契約社員に切り替えて、週の半分は個人事業主になりました。

み: なるほど。今の肩書きで、”関係性リスクコンサルタント”とか”ミディエーティブコーチ”とあるけど、そういう方向になったのはいつくらいからなの?

ぬ: 今日ここまでの話でやっぱり思うのは、最初のマネージャー時代に、人同士がうまくいかないっていうことが、もうちょっとそこをスムーズな感じでいられると、もっと仕事って進むんじゃ無いのかしら?っていう仮説がずっとあったんだと思うんですよね。

み: なるほどね。

ぬ: 本当は関係性なんて面倒なことに囚われずに仕事を完遂することに集中したいっていうのは、多かれ少なかれ多くの人にあると思うんだけど。
じゃそれができるかというと、容易には仕事の目的のためだけに行動できないのが人間なんだと思うんだよね。
わかってもらえなかったという体験だったりとか、かわいらしいと思うけど上司の邪魔をするような言動をしたりとか、部下に余計なアドバイスをしちゃったりとか。どうせそれをしてしまうなら、そっち側をしっかり見てあげることが必要なんじゃないかと、どっかで思ったんですね。なくすというよりも、その人の思いを遂げるようなことをしてあげないと、本当はそっちに行きたいわけじゃないんだけど、仕事も完遂したいはずなんだけど、見過ごしているとずっとあべこべな協働関係になっちゃっているんじゃないかな、という昔からの仮説があった、という感じですかね。

み: 影響はやっぱりあるよね、プライベートなことを抑えようと思っても出てしまうよね。

ぬ: そう、私情を挟まず仕事をしなさいって言うけど、それは無理だと思うんだよね。
”いつも上司のいい方が気に入らない!”と思っている部下さんはその人の仕事に凄く影響すると思うのよね。本人は意識していなかったとしても。”まあ、いい方は気に入らないけどしょうがないやってやるか”、と思うことができると、取り組み方がぜんぜん違うと思う。
伝え方のスキルトレーニングって一杯やらされると思うけど、実はスキル不足が原因なのではなくて、うまく伝えたいとか受け取りたいという動機よりも、自分の思いがうまく消化できずに相手への接し方において優しくなれない、っていうのはあると思うのです。

み: もっと生産性高くていいはずだよね。

ぬ: うん、生産性って言うと昨今ではちょっと冷たく感じるかもしれないけど、本来生産性はみんな高いはずだと思うんだよね。気持ちよく進んでいけないものがたくさんあるよねって感覚なんです。それを取り除いてあげるために、そういう気持ちの部分のひっかかりを丁寧に扱って、成仏できるようにした方がいいんじゃないのかなって感じですかね。

 

●2on1コーチングを高校生や中学生に伝えるとしたら?●

み: 気持ちの部分のひっかかりをなくす。なるほど。
実際そのサービスが2on1コーチングなんだと思うけど、2on1は知らない人が多いと思うのね。改めて、高校生や中学生に伝えるとしたらどう説明する?

ぬ: クラスや部活の中に仲が悪かったり、どうにも友達になれない人がいたとして、その人とお互いが激しいケンカをしたり、どちらかを仲間はずれにすることなく一緒にいられるようにすること、って言うかな。
1年間クラスで顔を合わせる中では、たまに、険悪になったり距離を置いたりするかもしれないけど、”そいつがいるといてもたってもいられない、むかつく~!”とか自分の存在価値を否定しちゃうようなことが無いように、別の誰かがその二人を取り持ってくれること。
もし行き過ぎちゃうようなら、二人の仲に入って仲裁をしてくれる人のことや、そういう行為のこと。

み: なるほど。そうすると2on1て、3人いると思うんだけど、ビジネスシーンではどういう立ち位置なのかな?

ぬ: 上司と部下さんが1on1しているところに私がお邪魔するという形です。2が上司部下さんで、私が1ですね。2に私がコーチとかファシリテーターの役目でonするという感じ。

み: ほう~。

ぬ: ね、不思議でしょ。だから、必ずその回の初めに私から声を発するようにしています。
関係ない人がいるってことで緊張しがちだと思うんですね、最初は。
上司さんがセットしたことであれば上司さんから話し始めてもらうんだけど、それが終わったあとで必ず私から、私の立場と2on1が何かという説明をして、その関わり方でいいですか?って何度聞いている人にも必ず説明して双方の了承をもらってから始めるようにしています。

み: なるほどなるほど。

ぬ: ちゃんと面と向かって説明しないと、「とは言ってもあとで今日の態度が査定されるんじゃないか」とか「上司とか会社の回し者でしょ?」っていう疑念がその時間の対話に影響してしまうのでね。できるだけそういった、信頼関係を作るのに危うい部分は誠実に説明するってことが大事だと思っています。
あと大事なのは、私が司会進行するわけじゃなくて、お二人で基本はお話をいつも通り進めていってもらって、「ちょっと伝わっていないかな、噛み合っていないかなと私が感じている時にはお声がけしますね」、という介入するポイントを説明しておきます。

み: 噛み合ってないな、ずれているな、入った方がよさそうだぞ、というときに入るのね。

ぬ: そうそう、上司さんが乗っちゃってずっとしゃべっているとか、部下さんが緊張して言葉に詰まっちゃっているときだったり、1on1てそういうシーンけっこうありますよね。
そういう時にそっと、「すいませーん、ちょっと声出していいですかぁ?」って入って行きます。
稀に、言い合いになりそうな時は、パシパシ仕切りますけどね。言い合いになってわけわからなくなると自分が言うことに必死になっちゃうので、順番に話してもらって、言ってくれたことをどう受け取ったかということを聞きながら交通整理することはあります。

み: バランスが崩れていそうな時だったり、人同士の戦争が起こりそうなときに「すいませーん」って入るのね。バランスが保たれるとまた見守る状態に戻っていくって感じなのかな。

ぬ: そうです。ちょっと深呼吸しましょうね、って言うだけでも過剰なハイテンションが平常に戻っていったりするので、それだけで良いときもあります。
何度も受けてもらっている人同士だと、お二人の関わりが素晴らしくて、もう私は何もしないというときもあります。
上司さん側から「ここまで何かありますか?飯沼さん。」と逆に声をかけてくれるような上級者さんもおられます(笑)
私から何か出なくていい場合は、「最後に今日私がお二人の対話を聞いて感じたことや印象的だったことをお伝えしますね」、ということだけで終わる回もあります。

み: うーん、そうかそうか。

 

●いつもうまくいくわけじゃないけど・・・●

ぬ: 回数を重ねると、特に、見られているとか見守ってもらっているというのがうまく機能しているみたいでした。
実はあまり良い終わり方をしなかったケースもあったんです。
片方が言い過ぎてしまったと。その後二人とも私にメールをくださったんですけど、言われて堪えていた側は”そんなに言われる?”って悔しかったみたいだし、言った側は自分を責める感じがあったようで。
その後数ヶ月してもう一度2on1をやったときは、お互いかなり丁寧に二人の関係性をもう一度繋ぎなおそうという姿勢で対話が進められていました。
次に会うまでの間、どうやら、それぞれがしっかり自分に向き合われたようなんですね。
最初の時に強く言われた側が「あなたのあの時の言葉があったから、しっかり自分に向き合えましたよ」とおっしゃられて。
これは1on1では難しかったのではないかと思います。1対1ではそこまで吐露されなかったかもしれませんね。それだけ相手と私の仲介を信じてくださったように思います。

後編に続く


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