NHKドラマ大奥を読み解く・最終回  ~カステラと黒船~

こんにちは。Nurture&Matureの飯沼美絵です。
今朝はこの時期にしては寒い朝でした。なかなか一昔前のように、天気や気温が予測しやすい日々ではないですね。
忙しいとつい、自分のケアを忘れがちですが皆さんはいかがでしょうか?
ぜひ、このブログと共に、せっかくのGWゆっくり時間を使ってみてはいかがかなと思います。

 さて、ようやく大奥の最終回のブログです。
もう放映からずいぶん経ってしまいましたが、改めて原作がいいなぁと何度も感動してしまいます。

今回は、パート5家定・家茂の時代で締めくくります。
ここでまた家督が女子に移ります。

パート5のテーマは、「力の統合」です。

個人の力、家柄の力、性の力、学問の力。
前時代まではこれらそれぞれがぶつかり、うまく人の幸せを作ることが出来ない、そんなことがずっとジレンマとして描かれていました。

まず、家定の時代。
いきなり父親から凌辱され続ける少女時代からスタートしていきます。
しかしそこに、将軍を助ける人物として家の神話を味方につけた家臣が登場します。それが、阿部正弘(瀧内公美)。
阿部家は大権現様である家康の時代に、まだ幼い家康が人質として今川家に向かう駕籠に、阿部家の嫡男を同乗させて、いざという時の身代わりとして差し出します。
そんな阿部家の興り、家の大事な神話、そして徳川家にとっても家臣の家の存在があってこそのここまでの権力でしょうから、
代々双方の家で大事に語り継がれてきたことが、家定と正弘の初対面のシーンでわかります。

これまで家の都合で、家柄や血を絶やさないことに個人が苦しめられていた時代から、今風で言うと家のパーパスを味方につけて、主君に仕えることを個人のキャリアと重ね合わせて成長してく人物が現れました。

これは本当に重要な描写だと思います。
最初は自分がまだ何なのかわからなかった正弘は、主が苦しんでいることを知り、覚醒します。
でも、なかななかうまくいかない。
正弘の策が失敗し、家定が父親に毒を盛られるという今度は逆の”身代わり”のような出来事が起こります。
ここも興味深いです。
ここら辺から、幕府の終了にいたる部分では頻繁に”役割の交代”が起こってきます。
田沼の時代では将軍が部下の失敗を許容することができませんでしたが、ここでは、失敗の結果をかぶることを将軍自らが受け止めます。

もちろん、どん底に落ち込む正弘。
でもそう簡単にあきらめません。
大奥に息のかかった人物を配置しようとします。
その人物こそ、江戸城の最後を看取った大奥総取締役、瀧山(古川雄大)。
彼自身ももともと家が複雑で遊郭で花魁として働いていましたが、正弘と出会い、絆を深めていきます。
本当はもっと外の世界に出て勉強したい、でも自分はそんな身分じゃないと、自分自身の羽を縛っています。

そんな時に正弘が彼にかけた言葉、「母の咎はそなた自身の咎ではない」。
彼はここから、自分の羽を縛っていたものを解いていきます。
正弘は家定に「思うようにやれ」と、羽を広げて大空を飛ばせてもらった、それを今度は正弘が瀧山にも力を解放させた。
家の力、性の力に縛られていた瀧山は、自身の力と学問の力そして”友”という血のつながらない人間の繋がりの力を得て江戸城に入るのでした。

飛ぶといえば、前回の源内さんの竹とんぼを覚えておいででしょうか?
今回も、阿部正弘が描かれるシーンで鳥が大空を飛んでいるシーンが映し出されました。
同じ、大空を飛ぶシーン、片や竹とんぼ、片や鳥。
なにが違うんでしょう?こんな風になんの象徴なんだろう?って連想すると、物語の読み方が楽しくなりますよ。

竹とんぼは人の力を得て、飛ぶ道具だと前回書きました。
今回は、鳥は、自分の力(翼)で飛ぶ、それ自体に命を持つ血の通ったものの象徴だと仮説してみるとどうでしょうか?

これまでは、家(親)の力、学問の力、性の力、つまり個人はそれらを受け入れる器としての存在というメッセージから、自分自身が血を通わせて翼を動かすことで、飛ぶことができるのだという、力強いメッセージだったと思います。

実際竹とんぼは、誰かの回す力が必要でした。だから、”誰かの助けになる”ことが力の使われ方で重要でしたが、ここからは赤面疱瘡も撲滅された今や、”自分の力で飛ぶ”ということが、重要なテーマとなっています。

さて、そうこうしているうちに、黒船が来て毒親の家慶がコロッと亡くなります。
これまで日本という家の内側のボスとしての“黒=将軍”がトップで治めていたパワーバランスが、外側からの黒い力によりあっけなく終了した。つまり、徳川専制政治の終わりがここから始まった、とみてとれます。

そんな大事な時に、正弘が病に犯されます。
ここも、よく描写を見ると、江戸城の廊下の真ん中を進んでいた正弘、急に腹部辺りが痛み、横の壁にもたれかかって動けなくなってしまします。

これと同じ時期に、家定には、薩摩から後の天璋院となる胤篤(福士蒼汰)が輿入れしてきます。
最初は島津家の陰謀だと江戸城内中が警戒していたのですが、徐々に胤篤の人柄に引き込まれて家定もどんどんメロメロに。
そんな二人の床で交わされる話のシーンで、「道の端を歩いていると唾をかけられる、どうしたらいいか?」という胤篤の問いに、家定は「真ん中を歩く」という答えを出します。

つまり、ここから、また入れ替わるのです。
家定と正弘。
家定は父親とのことでトラウマを抱えていましたが、ここでようやく本来の性的な力の光の側面を生きることが出来るようになります。
更に、”散歩で血を巡らせた”結果、家定はどんどん”自分の翼”を取り戻していきます。
そして、正弘から家定にバトンが返ります。
正弘は、”上様の過去も病も全てあの世に、私にお運びさせてくださいませ”という言葉を最期に、上様を生かすための使命としての家柄を全うします。

そしてまた、新しい時代の兆しへ。
富子姫(後の家茂、志田彩良!本当にかわいらしかったなぁ・・・)の登場です。

度重なる国難に、家定は富子姫に意見を訪ねます。その回答たるやなんと聡明な。

「力をふるうというのは実のところ相手も骨折りのこと、話し合い、よき落としどころを」

もはや恒例の、若い人の意見にびっくりコーナー(笑)ですが、ついに、相手の心情まで推し量れる子孫が登場しました。
200年かけて力の使い方を学んできた徳川家、いよいよオーラスですね。

そんな家定さんも若くして亡くなります。
後にわかることですが、彼女は妊娠による黄疸(今でいう妊娠中毒症)で死んでしまいます。
おそらくは、激務が祟ったのだとは思いますが、これまで国の内政、特に家の中に気を配っていればよかった時代から、黒船が来たことで、国外さらに、国外から圧力をかけられる諸大名たちの動きにも細心の注意を払わなければならなくなりました。
神経すり減りまくりだったでしょうね・・・。
便乗して徳川を倒そうと画策する藩士、志士たちがうじゃうじゃ出てくる。

そしていよいよ家茂が将軍となります。徳川単体では力が持たなくなり、公武合体、つまり天皇家の家の力を借りようと、宮様を家茂のお相手として迎え入れようとします。
ところが、これが蓋を開けてみたら女性だった。
混乱しますね、もともとの史実は女性ですが、ここでは家茂が女性なので、宮様は男性のはずですが、女子。
つまり女子と女子のカップル。同性婚をイメージさせる展開となりました。
ここまで徳川はどんなに個人がつらくても、子どもを残すことで生き延びた家です。
同性同士では子どもができない、さて困りました。

ここでも家茂さん、神対応です。ふてくされる偽の宮様(岸井ゆきの)に対して、こんな言葉をかけます。

「日々を暮らす民にとってははた迷惑でしかない戦。公武合体はこれをさけるためのもの。 そのために、住み慣れた京を離れ、江戸に下ってくれる勇気ある宮様、これが光でなくて何でしょう?
そのお方がそこにいらっしゃる。
それだけで図らずも救われる人間が山のようにいる。そのようなお方を世の光と呼ぶのだと、私は想います。」

この言葉を聞いた後、すっかり毒気を抜かれた宮様、先に顔を背けて寝てしまいます。
人の言葉でうれし涙を流したことなんてなかったでしょうに。
家茂は臣下の者たちにも、このことにかん口令を敷き、彼女を受け入れます。
宮様の本名は、親子(ちかこ)様と言い、生まれつき片手が不自由でした。それを憂いた母親が彼女をいないものとして育てたのです。
当然、天皇は親子様の存在を知りません。

この境遇を知って、家茂は彼女に天使のような寄り添いをみせます。
「大事ないからいちいちウルウルせんといて」
いちいち、ちょっとうざったいくらいの家茂の反応。
こんな人、親子様の周りにはいなかったんでしょうね。
いつしか二人はかけがえのない存在になっていきます。
子どもも他家から養子をもらい、何とか体裁を保っていましたが、どんどん男たちのパワーゲームに翻弄されていきます。

やがて、どんどん衰弱していった家茂は、死にたくない、と言いながら、京への上洛の最中に亡くなります。
親子様に会いたい、お土産を渡す約束をしたのに、と無念の最期となります。

それを知った親子様の元に、戻ってきたのは家茂の打掛だけ。
それを着て、激高します。床でひっそり泣いていた彼女は今度は、思い切り泣きながら。

そしてココ!私が今回大奥シリーズ通じて一番好きなセリフ。

「まえから言おう言おうとおもててんけど、徳川とかこの国とかそんなんどうでもようない?
そんなんは争うことが大好きな腐れ男どもにやらして、あたしら綺麗なもの着てお茶飲んでカステラ食べてたらそれでようない?
お節介ゆうか、いつもいつも人のことばっかりで とうとう命まで差出してしもて あほやろ・・・
うえさん・・あほやろって・・・
そやからゆうたやない いくなって おればよかったやないの
あたしのそばに おればよかったやないの・・・」

帰ってきたら、かもじをつけてとりかえばやをする。
そんな”ごっこ遊び”という日常のひそかな女の楽しみが、男たちの戦争によって叶わなくなる。
名著、「戦争は女の顔をしていない」が、ふと思い浮かびます。
かもじとはカツラのこと。とりかえばやをする、とは、京と江戸の衣装を取り替えて”とりかえばや物語のように遊ぶ”ということでしょう。

ここからの親子様の活躍は目覚ましかった。
この直後から怒涛の日々がやってきますが、そのたびにくるくると彼女の衣装が変わります。
彼女たちにとってみたら“あそび”であったとりかえばやですが、都度そのシーンで親子様が着こなす衣装(=役割)で徳川にとって大事な局面を乗り越えて行きます。

1人とりかえばやで家茂の打掛を身にまとい、あの時、家茂と1つになった後。
今まで通り江戸城内では公家の男性として、武家と話すときは武家の男性として、そして江戸城最後の日は、とりかえばや物語同様、本来の自分の衣装である公家の女性に戻ります。
こんなふうに時々の役割が与えてくれるパワーを”着こなす”、力が統合された存在として、彼女は物語の最後に大活躍していきました。

そして最後。

ほぼ、現代の姿が映し出されていました。
西郷は、女性が治めていた日本を「恥ずかしい」と言い放ちます。
世界標準としての男性的なパワーの使い方が、日本の女性的なパワーの使い方を周縁化させてしまうようなシーンでしたね。
これは作者の現在の日本や世界に見ているスナップショットなんだと思います。

しかしそれでも作者はまた、”とりかえばや”の再開を期待して、天璋院と津田梅子とを出会わせる、そんなシーンで幕を閉じます。

1つの家の発達を、ここまで見事に描ききったこと、よしながふみさん、本当に素晴らしい方です。
私たちは一連のこのお話から、どんなことを学び取るでしょうか。

残念ながら、行政や大企業のトップ達は未だに男性が主流を占めています。
最後の家茂のように、少数派の女性が男性のパワーゲームに利用されるようなこと、こんなことはマヒするほど多くの場所で見かけます。
そしてもっと良くないことに、男性の作った集団の理屈で日々使われる女性が主流派になることで、他の女性もそのパワーゲームに巻き込むように出来ています。

私が大会社にマネージャーとして勤めていた時代、女性の月の物に苦しめられたり、身体のどこかが痛いとか、イライラしたり不安でしょうがない、ということは頻繁でした。
仕事ってこんなもの、って思っていました。
今考えると、本当はもっと会社の仕事と同じくらい、いやそれ以上に自分ごととしてどうにかすべきことだったんだと思います。
今、会社の仕事で何らか苦しんでいる人、身体のことでも、精神のことでも、それはとてもとても大事なことです。
あなた自身が、何よりも優先で取り上げるべきことです。女性も男性も関係なく。でも特に女性に言いたい。

そうやって世の中が後から作り上げた価値(このドラマで言うところの、西郷が「恥ずかしい」と言った後からの時代の日本)から少しずつ距離を取って、本当にそれが自分に必要なのかどうか、一緒に見直しませんか?

江戸時代と違って、今は選択肢がたくさんある。
どうか、小さなことでいいから、何かを頑張ってやることを増やすのではなくて、何かやめてみませんか?

上司の気まぐれ、気の乗らない仕事の一部、嫌味な同僚との付き合い(LINEやメール)、ストレスのための大きな浪費・・・
自分のパワーを浪費しないために、女性の力も、男性の中の女性性の力も、みんなで、健やかに世の中で息づかせるために。

さて、長きに渡り大奥の考察にお付き合いいただき、ありがとうございました。またお目にかかりましょう。

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